今回は自転車に乗って矢部線跡を巡っていきたいと思う。
ちなみにスポーツバイクは嫌われるおっさんの趣味ベスト3に入ってるのだとか。
それに加えて廃線趣味なのだから、このウェブサイトはモテない方向に猪突猛進しているとしか思えない。
それはさておき、このサイクリング、スタート地点は福岡県筑後市にある羽犬塚駅から始まる。
この羽犬塚駅、かつては国鉄矢部線の駅だった。
そのため羽犬塚駅には現在も旧羽犬塚駅跡が残っているのだ。
それは改札口入ってすぐの駅のホーム。
このホームを筑後船小屋駅方面にずっと歩いていくとフェンスにたどり着く。
このフェンスの奥に見えるホームが旧羽犬塚駅のホーム跡だ。
こんなフェンス簡単に乗り越えることができるが、一応僕も三十路。
勝手なことしては駅員さんに怒られそうなので、フェンス越しにホームを眺めるだけにする。
改札口から駅を出て鹿児島本線沿いに筑後船小屋方面に進んでいくと、橋の跡が見れる。
花田橋のとなりにひっそりと残る橋台。ここに昔矢部線の線路が走っていた。
2003年の段階ではこの花田橋近辺には矢部線の線路が走っていた跡がくっきりと残っていたようだ。
具体的に説明すると、草むらの中に線路跡が白くくっきりと残っていた。
2019年現在、線路跡を確認することはできなくなっている。残念。
旧ホーム横のアスファルト部分が、矢部線の線路が走っていた所。現在ここは立入禁止。この空間は今後どのように活用するのだろう。
さらに鹿児島本線沿いに南下していく。
すると、和泉踏切が見えてくる。
この踏切のアスファルト部分には亀裂が入っている。
矢部線のレールを剥がさずにアスファルトで埋めたと思われる。
このアスファルトを剥がせば中から線路が出てくるのだろうか。
だとしたら、剥がしてみたい。
まさに廃線野郎たちのためのタイムカプセル。
和泉踏切の足元にも注意されたし。
しれっと境界杭が残されている。
この「工」と書かれた境界杭は旧国鉄の境界杭なのである。
どうやら殖産興業を推進するために設置された工部省の「工」を意味するマークのようだ。
工部省は造船、鉱山、製鉄、そして鉄道などの事業を管轄していた。
なぜ境界杭に「工」というマークが採用されたかというと、工部省の「工」と鉄道のレールの断面図が「工」みたいな形をしているから。
なかなか明治政府は粋なことを考える。
JRになってからの境界杭はこのJRというマークが入っている。旧国鉄を追っている方々は区別されたし。
さらに南下すると道がカーブを描き始める。
このカーブを進んだところに桜の木がある。
この桜の木の根元に側溝があり、その側溝にはなんと…、
「工」のマークの境界杭が!
こんなところにも矢部線の史跡があった。
道沿いにひたすらペダルを漕ぐ。
畑の中をのびる弧を描いた道。
この道が矢部線跡。
道の脇の草むらを見ると…、
「工」のマークの境界杭が!!
矢部線に興味を持たなければ決して見向きもしなかっただろうコンクリートの小さな鉄道史跡。
畑を潰して住宅を建ててる土地がちらほら見られたが、これらの境界杭もいつか撤去される日が来るのだろうか。
そう思うと淋しい、惜しい。
ちなみにこの辺りの土地の衛星写真をGoogle Mapとか地理院地図で見ると畑の中をすらっと曲線を描いた道(矢部線跡)が走っているのを見ることができる。
いかにも昔線路が走ってましたよーと言わんばかりのくっきりした曲線の道路は画的な気持ちよさがある。
廃線マニアはぜひ閲覧されたし。
ペダルを漕いで道なりに進む。
野町北の信号を通り過ぎ、さらに道なりに進む。
この信号の先が花宗駅跡だ(今はただの道路になっている)。
花宗駅は一面一線の単式ホームで、駅舎もない無人駅だった。
ここからさらに道沿いに進む。
八女インター南の信号を通り過ぎ、さらに道なりに。
すると九州自動車道(鵜の池橋)にたどり着く。
この橋に関してはfukupediaというサイトで面白い考察をしている。
橋についている黒い汚れは、矢部線のディーゼル車の排煙による煤ではないかという考察。
かなり面白い着眼点だと思った。
ただ、僕がサイクリングしたこの日は工事中で黒い汚れを確認できず。
さらに八女方面に進むと鵜池団地という市営の団地が見えてくる。
この辺りがかつて鵜池駅が建っていた場所。
単式ホーム一面一線、矢部線開通とともに開業した駅で開業当初は木造の駅舎があったが、1962年に駅舎は撤去され無人駅となった。開業当初は開業記念としてホームに桜の木が植樹されたらしい。
現在県道96号から鵜池団地に入るための道路は、かつて鵜池駅に向かうための道路だった。
鵜池団地のすぐ隣にはレンガ造りの建物がある。
これは、農業用倉庫(現在の使用状況は不明)。
建物の趣きはかなり好み。
道沿いに自転車を進めると住宅街が見えてくる。
JAふくおか八女の看板手前のこの辺り。
この辺りに蒲原駅があったらしい。
駅構造は単式ホーム一面一線。屋根とベンチがあるだけの小さな駅だった。
道路脇などを色々観察したが、駅跡らしき痕跡はどこにもない。
きれいさっぱり史跡が取り除かれている。
蒲原駅跡を通り過ぎると八女伝統工芸館と八女福島のトンネル藤が見えてくる。
八女伝統工芸館と鉄道記念公園は矢部線マニアなら絶対訪れるべき場所。
矢部線を扱ったサイトなら必ず取り上げられる場所だ。
なぜならこの場所はかつて筑後福島駅だった場所で、現在も鉄道史跡がしっかりと遺されているから。
だが、この場所についてテキストを書き始めたらそれこそ長文駄文になってしまうので、また別の記事で取り上げることにする。
八女伝統工芸館正面出入口、ドラッグストアのすぐ隣のアパートには思わぬ鉄道史跡が残っている。
『駅前アパート 管理 立花支所』と書かれたものすごく錆びついた看板。
駅前、とはもちろん筑後福島駅のことだ。
八女伝統工芸館を通り過ぎて、さらに黒木方面へ進む。
すると八女総合体育館へたどり着く。
八女総合体育館の裏手の道が旧矢部線跡。
この道路の脇の畑に注目すると…、
おなじみ「工」のマークの境界杭がある!!
もう「工」のマークの境界杭を見ると落ち着くようになってしまった。
国道3号線の手前、八島鉄工所の前に今古賀駅があった。
国道の真下をディーゼル車が通るってどんな感じだったんだろうか。
もしかしてSLが通るときもあったんだろうか。
その時の風景は、もう見ることができないのがとても残念。
羽犬塚駅から八女総合体育館までの走行時間は約2時間弱。
道中色々探索、撮影しながらのライドだったのでかなり時間がかかってしまった。
そこまで探索しないのなら走行時間は1時間弱だと思われる。
今回のサイクリングはここで終了。
続きはまた今度。
※以下、参考にしたサイト
【八女市&筑後市の旅】旧国鉄矢部線を辿る | fukupedia
廃線探索 矢部線 | 歩鉄の達人
矢部線廃線跡調査 | 失われた鉄路を求めて
国鉄の駅 in 九州 | モノフォトショップ添田カメラ
K.Takeshita