国の重要無形民俗文化財、八女福島の燈籠人形:からくりぎえもん所縁の貴重な横使い人形が躍る素晴らしき秋の風物詩、歴史を紡ぎ続けるための課題と重み

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八女には誇るべき祭りがある。国の重要無形民俗文化財にも指定されている八女福島の燈籠人形だ。からくりぎえもん(田中久重)に所縁があるとされ、日本でここだけの横使い人形という横から操るからくり人形を遣う祭りだ。江戸時代の半ば、熊本の山鹿の大宮神社より奉納燈籠をもらい受け、それを工夫をし人形の燈籠を福島八幡宮の放生会に奉納したのが始まりと言われている。青森のねぶた祭りのようなものであったとの記載もあり、極めて個性的なものであった。そこに1772年、八女出身の浄瑠璃作者福松藤助(松延甚左衛門)が大阪より帰郷したことで動く人形、からくり人形が登場し大きく進化を遂げた。

1842年には久留米藩による大倹令(倹約規制)により上演が禁止が言い渡されるが、それに背き1844年間では上演が続けられた。その後長らく中止が続いたが、時代が変わり明治に入り1871年に復活を遂げる。この際に多くの手が加えられと思われる。あまりはっきりしたことがわかってはいないが、この時期にからくりぎえもんこと、田中久重をアイディアを提供したと言われており、今の形に近いものとなった。この当時は各町が持ち回りで行っており、演目なども工夫が凝らされていた。

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祭りは秋分の日前後の3日間のみ行われ、3層2階建ての建物が、この期間だけ八女福島八幡宮内に作られ、その中で人形での演目から、それに合わせた囃子などすべてが行われる。この建物は釘や鎹を使わず建てられており、祭りが終わると解体され、更地へと戻る。最終日の最終公演は、全ての戸が開きはなたれ、人形操作から御囃子などすべてが見れるようになっている。また観客は、舞台に面した丸石の石垣の斜面に座って見ることもでき、これもまた面白い光景だ。

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特徴的な横使い人形は、8本の横棒の操作によって行われる。それぞれ手、足、首に繋がれ、通常複数の人間が同時に動かすことで様々な動きを可能とする。また、舞台片側から反対側へと操作が引き継がれる「送り渡し」がこの横使い人形最大の特徴でもあり、見どころだ。

今現在行われている演目は4演目、吉野山狐忠信初音之鼓、玉藻前、薩摩隼人若丸厳島神社詣、春景色筑紫潟名島詣があるが、必ずしもそれが順に行われるわけではなく不規則順となっている。昔は町ごとの持ち回り制で多くの演目が行われており、戦前までは今活用されている人形以外にも多くの人形があったのだが、残念なことに戦時中のどさくさに紛れて売り払われたものも多く、人形コレクターなどが所有しているものもあるが、その辺りの調査は正式には行われていない。

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そんな素晴らしい祭りだが、課題も多い。まず全国的な知名度は低い。本来国の重要無形民俗文化財であれば、全国から一目見ようと観光客などが集まるのが常なのだが、とにかく知名度の無さから、地元の人中心の集客しかないのが問題だ。にもかかわらず保存会はその危機感はまったくなく、知名度が向上しており集客は増えていると言い張るのだが、全国レベルで考えれば、まったく評価に値しないほどの集客しか出来ていないというのが実情だ。

また人形の操作も祭り前ひと月ほどのにわか仕込みであり、本来人形が持っているポテンシャルを活かしきれていない。近くの伝統工芸館にはレプリカの祭台座とレプリカの人形があるのだが、なぜか動かす前提ではない作りをしており、ベニヤ版や適当な木材で作られておりあくまでもでかいプラモデル状態、練習には使えない代物なのだ。にもかかわらず人形は、無理やり動かしたことでかなりボロボロになってしまっているのだ。

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担い手の少なさと保存会の高齢化は現段階では老害でしかないように思われる。せっかくの祭り、地元の高校の演劇部などに年間を通して練習させ、地元の誇りでもある重要無形民俗文化財に携わらせる経験なども郷土愛を育む事も可能なはずだ。今後人口の4人に一人が75歳以上の高齢者社会の到来も近い。そのような状況下では、後継者をきちんと育てていくという選択肢を考えなければ、今後担い手もますます減っていき、規模の縮小、さらには存続の危機さえ現実問題となりそうだ。

また最終日全ての戸をあけ放っての演目は魅力なのだが、表から皆の目のつくところに市指定の黄色いごみ袋が鎮座しているなど、見るものに対しての意識が欠落しているのは残念な限りだ。わかっているのだから見えないところに移動させるぐらいの配慮はして欲しいものだ。こういう所に、携わっている人間が重要無形民俗文化財を担っているという意識が低いと言わざるを得ない。

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それでも素晴らしい祭りであることには変わりないし、重要無形民俗文化財であることには変わりない。素晴らしい歴史とそれを受け継いできた人たちの思いを、きちんと次の時代に残していくための手段をきちんと考えていけるか、それが歴史ある町と人に与えられた課題だ。

H.Moulinette

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