筑後市のさぎっちょ

日本には古くからさぎっちょと呼ばれるお祭りがある。
これは、小正月に行われる火祭りだ。
さぎっちょでは、竹や木で組まれたやぐらにその年に使用した正月飾りを入れ、火を入れる。
すると、櫓から煙が上る。
煙に乗って歳神は天に帰っていく。
私達は、この祭りを通して、お正月に迎えた歳神を見送るのだ。
さぎっちょは地域によって呼び名が異なる。
さぎっちょの別名は、左義長、どんど焼き、鬼火、ほうけんぎょう、さいと焼き、おんべ焼きなど様々だ。
実はこのさぎっちょの歴史、正確には判明していない。
平安時代の宮中行事が起源だという説もあるが、中国の元宵節が起源だという説もある。
さぎっちょに関する文献や論文も極端に少ないことから、一般人がさぎっちょに関して正確な情報を手に入れるのは不可能だと思われる。

さぎっちょを行うと大量の灰が降り注ぐため、さぎっちょを禁止する町が増えてきている。
私達がさぎっちょの歴史を深く知る前に、さぎっちょは絶滅してしまいそうだ。

Saggicho is an traditional ceremony, on Jan. 15. It is a large scale bonfire.A tower is built with a wodd and bamboo, and New Year’s decorations are placed inside. As the fire is lit, the some rises hige into the sky, and the god returns to heaven.

This ceremony is to send the god home, who have visited us on the New Year’s holiday.There are several variationsfor it’s name. Depending on the region, sometimes it is called Saggicho, Sagicyo,Dondo-yaki, Onibi, Hohkengyo, Saito-yaki, or Onbe-yaki.

There are no clear background as to when and how it started. One theory is that it originated from the event held at an Imperial court in Heian era. Another is that it has an origin in a Chinese Lantern Festival. It will remain a mystery, yet history continues on.

But due to the large amount oh ash falling upon the residencial area, many cities are starting to prohibit the event itself. There is a great possibility that we may soon loose a such an event, before we truly understand it.

Japan has the old ceremony that is called Sagiccyo. It is the fire ceremony to be held on 15th of January. By the Sagiccyo, the people put New year’s decorations in the tower which was made with bamboo or wood and set fire. And smoke is rising from the tower.

Toshigami return to the sky on the smoke. We give a god that I met for New Year Holidays send off through this ceremony. The Sagiccyo varies in a name by an area. Other names of the Sagiccyo are Sagicyo, Dondoyaki, Onibi, Hougenkyo, Saitoyaki, Onbeyaki, and so on.

In fact, the history of the Sagiccyo does not become clear exactly. The opinion to be the Imperial Court event of the Heian era has the origin of the festival, but there is the opinion to be the Feast of Lanterns clause of China. Because there are extremely few documents and articles about this ceremony, I think that it is impossible that people get correct information about the Sagiccyo.

Because a large quantity of ash pours when this ceremony is held, towns prohibiting this it increase. The Sagiccyo seems to become extinct before we know the history of it deeply.

©KYism
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K.Takeshita

無病息災のお祭りって古代の生命保険だよねって話

今年も福岡県筑後市の熊野神社で行われた鬼の修正会に参加してきた。
鬼の修正会とは約500年前に始まったとされる無病息災を願う祭りだ。
参加者は500kgの大松明を刈又と呼ばれる槍のような道具で持ち上げて、熊野神社の境内を三周回るのだ。
参加者は上半身裸のため大松明からこぼれ落ちる火の粉、というか火の玉を直に浴びなければならない。
実際の祭りの様子は過去の記事を読んでもらえるとわかると思う。また、祭りの起源や久留米の鬼夜との比較記事はこちらで読める。

無病息災のお祭りってその年の自分の健康や家族の無事を祈るわけである。
それって古代(鬼の修正会に関しては古代というには新しすぎるが)の生命保険だよねって思うのですよ。
いつの時代も家族が無事に過ごせるのは身近であり、最大の祈りだったのだろう。
だけど、生命保険と無病息災の違いって生命保険は負の方向にお金を払うわけです。

もし自分が死んだら。
もし自分が病気になったら。
もし自分が事故に遭ったら。

そういうマイナスなことにお金を払うのが生命保険。
ところが無病息災は正の方向へお金や労力を使うわけだ。

健康でいられますように。
無事で過ごせますように。
病気が治りますように。

それってすごく理にかなっているなあと思うのです。
そりゃあ自分が死んだ後に家族になにか遺せていたらというのは大事なことだが、なにも生きてる時から死ぬことに投資しなくてもいいと思うのですよ。

そんな生きてることに力を注ぐ鬼の修正会の参加者は、昨年に比べて大幅に減ってしまった。
地元の力不足もあるが、若者が参加しないそうだ。
先行き不安な現代だからこそ、祭りに参加することが大事だと思うのだが。
約500kgの大松明を掲げるなんて危険な祭りだが、時には正の方向に投資するのはいかがだろうか。

K.Takeshita

福岡の奇祭!? 筑後市で全身に煤を塗って練り歩く奇妙なお祭りがあった!!

奇祭という言葉をご存知だろうか。
字のごとく奇妙なお祭り、奇っ怪なお祭り、珍奇なお祭り、まぁようは独特な風習のお祭りということである。

有名どころだと巨大な男根を担ぐ愛知県の田縣神社豊年祭がある。
世界に目を向けるとトマトを投げ合うスペインのトマティーナ、カラフルに染まるインドのホーリー祭などが見つかる。

奇祭…なんだか面白い。間近で見てみたい。
だけど奇祭なんてそれはナショナルジオグラフィックとかBBCで見るお話。
私になんて関係ないのね……。

なんて思っていたが、実はすぐ近くにあった。

場所は福岡県の南部、久留米市のすぐ隣の筑後市という町だ。
この町では毎年8月の盂蘭盆の時期になると久富観音堂盆綱曳という祭りが行われる。

この祭りの主役は地元の子どもたち。
子どもたちがなんと全身に真っ黒の煤を塗るのだ。

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そして藁で編んだ角と腰蓑をつけて、重さ約400kgの巨大な綱を曳き回して町中を練り歩く。

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この祭りは江戸時代初期に始まったとされる施餓鬼行事。
不幸にして成仏できずに亡くなった亡者の例を供養するために始まった。
苦しむ亡者を盆の一日だけ鬼が綱で引き上げて、極楽浄土で食べ物を与えて供養する意味が込められている。
全身真っ黒で角を生やした子どもたちの姿は、亡者を引き上げたというわけだ。
また、1641年とその翌年の大凶作によって飢えや病気による死者が続出。その際多くの子どもたちがなくなったことから、その子たちの霊を鎮めようと、こうして祭りでは子どもたちが主役となって綱を曳くことになったと言われている。

物見遊山として見に行っただけのつもりだったが、まさかこんなに深い歴史と意味のある祭りだったとは。
大凶作による飢饉は起きなくなったが、子どもをとりまく社会問題が改善されない現代日本で、今後このお祭りはどんな意味を持っていくんだろう。

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K.Takeshita

久留米のリオのカーニバル!? 久留米そろばん踊りと久留米絣の意外な関係!?

時に、西暦2019年8月4日。
私は今年も久留米そろばん総踊りに参加してきた。

参加する前、私は友人にこう言った。
「今年も久留米そろばん踊りするから、よかったら見に来てよ」
すると、友人はこう答えた。
「そろばん踊りってなに?」
マジか。
同じ筑後地域に住んでいながら知られていないものなのか。

久留米そろばん総踊りとは毎年8月上旬、『水の祭典久留米まつり』の中で行われる催し物だ。
久留米の道路1キロメートルほどを歩行者天国にし、地元企業や団体を中心に県内外から集まった参加者が隊列を組んでそろばん踊りを踊りながら歩く一大イベントである。
踊り方や掛け声に基本の型はあれど、各々所属する企業や団体で微妙にアレンジされているのが面白い。

そろばん総踊りは不思議なお祭りだ。
普通祭りは神様を祀るためにある。
神社の神様を祀るため、土地の神様を祀るために行われた祀りが祭りに変わったのが現代のお祭りである。

久留米そろばん総踊りはちょっと違う。
久留米そろばん総踊りで皆が踊る久留米そろばん踊りという唄は元々は『久留米機織り唄』と呼ばれる新民謡であった。
久留米絣を織る機械の音とそろばんのカチャカチャっという音が似ていることから、唄に合わせてそろばんを振ったことが始まりだと言われている。
そう聞くと、映画『もののけ姫』のたたらのシーンを思い出す。劇中女性たちが唄に合わせてたたらを踏む。
久留米機織り唄も作業のリズムをとるための作業唄として唄われていたのだろうか。
いや、どうやら違うらしい。
久留米機織り唄は作業唄ではなく、明治時代頃から座敷で唄われていたものだとか。
花街や料亭などの酒宴で芸者が唄い、客としてやってきていた商人たちが持っていたそろばんを(久留米絣の機織りの音に見立てて)カチャカチャ振ったのがそろばん踊りの発祥だと言われている。
この唄に伴奏のそろばんを持った踊りがつくのは1972年、まさに第一回「水の祭典久留米まつり」がスタートしたころだったのだ。

そろばん踊りの説明を受けた友人はこう言った。
「阿波おどりみたいなもん?」
うーん。ちょっと違う。
「じゃあ、リオのカーニバルみたいなもん?」
言い得て妙だった。
それぞれの団体が踊りをアレンジして、練習して、本番で踊る。
祭りでは審査もあってコンテンストの結果発表もある。
もちろん本場のリオのカーニバルほど必死なものではないが、たしかに、近いものはあるかもしれない。

K.Takeshita

ぼんぼり祭りを考える:主役に抜擢されるべき八女の「箱雛」、景観破壊度抜群のピンクののぼりに観光客から「がっかり」との声、リピーターを生むために必要なこと

八女市の白壁の町並みで平成9年より毎年行われるぼんぼり祭り、全国有数のひな人形の産地として毎年2月中旬から3月下旬にかけて行われている。福岡県は雛人形の生産量が埼玉県に次いで全国で2位、産業として盛んである。

今現在は量産品、産業としての雛人形ではあるが、過去には八女には独自の雛人形があった。江戸時代から昭和の時代にかけて、仏壇屋や大工の副業として作り続けられてきたのが「箱雛」だ。仏壇の生産が盛んだったこともあり、衣装は仏具の生地、さらには八女和紙を使い、飾りの小物は今では国の伝統工芸品の指定を受けている八女提灯の金具を利用し、仏壇同様に「人形が箱に入っている」状態で飾るように作られていた。皮肉なことに、産業として八女で雛人形が量産されるようになると、八女の個性であった本来の「箱雛」はその姿を消してしまった。 今では量産品の雛人形を箱に収めて箱雛とはしているが、その姿は本来のそれからは遠いものとなってしまった。

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近隣の柳川市はさげもん、吉野町はおきあげ雛、臼杵の紙雛と九州は独特の雛人形が多い中で、八女は本来であれば「箱雛」を前面に押し出すべきが、量産品の雛人形がその主役となってしまっている。産業が量産品中心であり、そのシェアが全国2位だから始まった祭りであり、「箱雛」は過去の歴史の一端でしかない、というようにさえ見えてしまい、観光客にも独自性である「箱雛」の良さが伝わっていない。何よりも昔ながらの箱雛を今では作る職人さえいないという現状が、職人の街としては寂しい限りだ。作りたいという職人はいるのだが・・・

せっかくの祭り、訪れた観光客がここでしか味わえないお雛様を体験してもらうべきであり、その主役は「箱雛」であるべきだ。白壁通り沿いの民家が自宅の雛人形を通りの窓越しに展示し、また横町町屋交流館でも雛人形の展示を行っているが、全体数からすれば箱雛はごく僅かであり、どこもその説明に乏しいのが現状だ。横町町屋交流館では箱雛は飾ってあるが、まるで人形供養のごとく大量に並べられた同じ顔の量産品がメインステージを陣取ってしまい、すっかりわき役となってしまっている。毎年のポスターでもその箱雛が全面的にフィーチャーされることはなく、地元作家の素晴らしい切り絵で飾られてはいるが、ごくありふれた「雛祭り」のポスターになっているのもとても残念だ。

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が故に没個性的なひな祭り感が漂い、一部イベント日程以外は観光客がまばら、閑散とした光景が例年定番となっている。正直何度も訪れたいというレベルの祭りではなく、彼らがリピーターとなるには程遠いと言わざるを得ない。観光を謳う地域として、明らかにかけた予算に見合った観光客の数は獲得できていないのが現状だ。

また問題視すべき問題点はもう一つある。白壁通りという古い美しい街並みを謳いながら、祭り期間中は派手なピンクののぼりがそこら中にに乱立するのだ。最近ではインスタ映えという言葉が一般化し、SNSなどで写真などをあげることが一般的になっている。しかしこのピンクののぼりのおかげで、せっかく町を訪れた観光客からは「写真映えしなくなる」、「なんでもっと配慮したものにならないのか」、「街並みに合っておらずがっかりした」という声が毎年のように聞かれる。例えば京都では自動販売機ですら街並みに合うように色合いを規制したりするなど、「観光とは人が何を求めてくるのか」、ということにきちんと向き合っている。八女は観光を謳いながらも、その入り口をすでに見落としている残念さが、現状の「地方」レベルなのだろう。無難なパンフレットやポスターにかける予算をかけるくらいならば、それを部分的にカットしてでも、まずは”訪れた人が心地よく感じる景色”、”環境に配慮した色合いとデザイン”ののぼりに切り替えるなど基本的対策が必要だろう。それが街並みを観光の目玉、起爆剤としたい、またすべき町のやるべきことだろう。

そして「箱雛」という伝統をしっかりと掲げ、「ここでしか体感できない雛祭り」という演出をしてこそ、八女の良さが十分に発揮できるのではないだろうか。

H.Moulinette

30歳で初体験!? 軟弱男が火炙りになりながら地域のお祭りに参加してみた -筑後市熊野神社の鬼夜 参加体験記-

今年の1月5日、鬼の修正会(通称:鬼夜)が筑後市熊野神社で執り行われた。
実はわたくし、このお祭りに参加してきた。

なぜ筑後市在住でもない私が筑後市の鬼の修正会に参加したのか。
きっかけは遡ること約一ヶ月ほど前。
昨年の12月に筑後市観光協会の知人に呼び出された。
「鬼の修正会というお祭りがありまして」
観光協会の事務所に呼び出された私は知人からいきなり説明を受けた。
事務所に呼ばれて説明を受ける。もうこれは闇金ウシジマくんの世界である。
事務所に呼び出されていきなり説明を切り出されて逃げられるわけがない。
鬼の修正会の話をうんうんと聞き、「出てくれますか?」と言われたら出ない訳にはいかない。

そもそも筑後市の鬼の修正会とはどんなお祭りなのか。
久留米市の大善寺でも鬼夜が行われるが、筑後市の鬼夜と久留米市の鬼夜は由来が異なる。
筑後市の鬼夜は約500年前に始まったとされる火祭りである。
家内安全や無病息災を願うお祭りだが、それだけでなく、大松明の火の粉を浴びれば結婚できるとも言われている。
祭りの参加者は刈又と呼ばれる棒で竹や木を束ねてできた長さ約13メートル、重さ約500kgの大松明を支えて熊野神社の境内を3周する。
昔は神社ゆかりの男たちだけで行われていたが、近年は参加者数が減り大松明が転倒する恐れがあるから、市内外から参加者を募っているのだそうだ。

……。

…え?

大松明転倒??

長さ13メートル、重さ500kgの???

それ、危険やん。

そんなのに僕みたいな気弱な人間が出ていいの??

「大丈夫。大丈夫。あくまでメインは地元の慣れた人だから」
という甘い言葉。
え、ほんとかそれ。だって松明支える人が少ないんでしょぅ??

私が鬼の修正会の話を聞いていると、近くにいた観光協会のスタッフが声をかけてくる。
「何話してるんですか?」
「鬼の修正会の説明をしてるところ」
「ああ、男塾ですね」

男塾!!??

なにそのコードネーム。
男塾だよ。
男塾って聞いたら皆あのマンガ思い出すんだよ!!
俺なんて普段読んでるマンガ「のんのんびより」とか「ゆるキャン△」だよ!
男塾読んだことないよ!!

そんなわけで成り行きで筑後市民でもないのに筑後市の鬼の修正会に参加することになった。

1月5日。祭り当日。
18時に筑後市役所前に集合する。私以外に参加者は3人。計4人。心もとねぇ…。
参加費¥3,000を支払う。この参加費の中には保険代も含まれている。

車で熊野神社まで移動。神社にて無事を祈り、公民館に移動。
大松明担ぐまではまだ時間あるからここでご飯食べててよと案内される。
公民館に入ると、そこにはずらりと並んだ長テーブルと豪勢な料理と酒、酒、酒。
料理は刺し身に寿司に唐揚げにローストビーフ。
酒は大量のビールに日本酒。

す、すげぇ!

目の前の料理に私達4人は唾を飲み込んだ(チョロい)。
すでに長テーブルには地元の人達が座り大宴会状態。
私達は座りビールをお杓し合った。
ちびちびビールを飲みながら軽く自己紹介をし合う。
応募を見て参加したのは一人。後はみんな観光協会からの口説きとか。
ビールを飲んでいると地元の人がやってくる。
「今日はどうもありがとうございます」と頭を下げられたので、私達も頭を下げて「こちらこそよろしくおねがいします」と挨拶をする。
田舎の正月という感じだ。
私達は刺し身をつまみ、ビールをすする。
また地元の人がやってくる。
「本日はどうもありがとうございます。どうぞ酔わない程度に飲んでください」とお酌をされる。
「酔わない程度っていってもビール瓶の数すごいですよ」と冗談を言うと、皆が笑った。

「やっぱり参加者少ないですね」
「そりゃそうですよ。皆この時期ディズニーランドとか行きますって」
「でもディズニーじゃ刺し身や寿司食べれないですよ」
「3000円でこのごちそう食べれないですよね」
「あと、裸にもなれない」
などと冗談を言い合っていたら、唐突に
「祭りの説明するぞー!」
と声が響いた。
どうやら一旦食事を中断してオリエンテーションがあるようだ。
私達は外に出た。
大松明の説明がある。境内を回るという説明がある。
では刈又を持ってみましょうと促される。
刈又とは大松明を持ち上げる棒。棒といってもただの棒ではない。大松明に刺せるよう先端が銛のようになっている。
私達は刈又を持ち上げた。

……持ち上げた。

………持ち……上げ…た。

…どうしよう。持ち上がらない。

「え? なにこれ!? おもっ!!???」
思わず声が出る。
「もっと腰で持ち上げんか!」
背後から声をかけられ、「ぬぁぁああーー」という感じで持ち上げる。
なんとか持ち上がる。
だが、持ち上げた状態を維持し続けるのはキツイ。
「やばっ!」
刈又を地面に落としてしまった。
周りの参加者もビビっていた。
「そんなに重たいと?」
「うん。重たい」
「やばい」
さっきまでの余裕はぶっ飛び、私達は一気に焦り始めた。
再び公民館に戻る。
本番まで食べててよと案内される。
「おい、食っとけ」
「23時までなにも食えねえぞ」
「食ってスタミナつけとかないと」
「おい、酒も飲めって」
「シラフじゃあんなことできん」
私達は遠慮せず飯を流し込み、酒を食らった。
ぞろぞろと若い衆が集結し始める。どうやら市役所の祭り部の若者たちらしい。
皆若い。たぶん私らより若い。今どきの若者。サードウェーブ系男子みたいな人もたくさんいる。休日の趣味はY-3の服を着て馴染みのケバブ屋に行くことですみたいな男子もいる。
皆がプロではない、故に気を抜いたら大惨事になる。

ビールを飲んでいると、経験者の一人が声をかけてきた。
「いやー、初めて参加した時は手の皮がずるむけになりましたもん。お尻の火傷の痕がまだ消えないし」
私達は話の内容よりその経験者の顔を見つめていた。
坊主で、眉毛を剃っている。
坊主で眉を剃った厳つい兄ちゃんである。
そりゃあ中学生のときにいきって眉を剃るやつはいるだろう。
しかし大人になって眉を剃るやつなんてそうそういない。
いるとしたらそいつはまごうことなき強者である。
そして私達の目の前には今、強者がいる。
その強者が手がずるむけになってお尻を火傷して、火傷の痕が治ってないと申しておられる。
勝てない。私らのような軟弱ぽこちん野郎には勝つ見込みがない。
どんだけやべーんだよ、鬼の修正会って。

「ほらー!! 着替えるぞー!!!」
汽笛のような掛け声。
いよいよ始まった。
私達は服を脱ぎ、サラシを巻いた。靴下を脱いで足袋を履いた。
足袋を履くのにもたつく人が何人もいたが、私はスムーズに履けた。高校のときに弓道部に入っててよかったと思った。
着替えた者から外に出る。
寒い。
しかし、そんなことはどうでもいい。
男達が二列に並ぶ。
いつの間にか厳つい男達も集まっていた。どうやらベテランの彼らは別の場所で酒宴を開いていたようだ。
私達一般参加者、市役所の祭り部、ベテラン勢。
「ワッショーイ、ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
私達は熊野神社から離れた場所に移動させられ、火を囲み、ひたすら叫び続けた。
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
喉があっという間に嗄れる。
「飲むか!?」
と言って渡される透明の液体。もちろん酒。清酒。
清酒で喉を潤し、再び叫ぶ。
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
配られる酒。最初の頃は紙コップに入れて飲んでいたが、だんだん面倒くさくなり皆で一升瓶を回し飲みし始める。
酒を飲み、皆で肩を組み火の周りを回った。
気温は低いが、体は熱い。
清酒が、神事のときに捧げられる物だという意味がなんとなくわかった気がした。
21時前。
私達は小松明を持って隊列を組み、熊野神社に向かって走った。
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
熊野神社ではすでに燃え盛る大松明がそそり立っていた。
私達が神社から離れた場所で掛け声を掛け合っている間、熊野神社では神聖なやり方で大松明に火がつけられていたようだ。
いつの間にかものすごい数の観客も集まっていた。
大松明からはぱちっぱちっという竹が弾ける音が聞こえた。
燃え盛る炎が辺りの大気をゆらしていた。
裸の上半身が炎で熱い。肌がピリピリする。
大松明から炎がこぼれ落ちた。火の粉が舞う。肌に火の粉がかかる。チクッとした痛さ。
私達は小松明を地面に下ろし、小松明を囲って円陣を組んで叫び続けた。
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
鐘の音が聞こえた。
私達は刈又を手にした。
オリエンテーションの時は持てなかった刈又を今度は持ち上げることができた。
温まった体と酒で覚醒した脳のおかげだ。
刈又を構える。
「いくぞー!!」
誰かが叫んだ。いや、頭の中で聞こえた幻聴かもしれない。
私達は刈又を構えて大松明に向かった。
まるで戦のようだった。
火を噴く竜に槍で挑んでいる気分だった。
刈又の先を大松明に差し込む。
大松明から炎の塊が落ちてきた。
それが私達の上に降りかかる。
熱い。だが、気にしない。いや、気にならない。
もはや熱いとかそんなのはテンションを上げるための一要素。
全員で大松明を持ち上げた。
「ワッショイ!」
誰かが叫んだ。
「ワッショイ!」
もう一度誰かが叫んだ。
「ワッショイ!」
「ワッショイ!」
今度は誰かが応えた。
「ワッショイ!」
「「「ワッショイ!!」」」
声が大きくなった。
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
声の大きさに合わせて大松明が動き出す。
周りのお客さんから歓声が上がった。
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
私達は大松明を抱えて境内に通じる階段を登った。
が、ここで…。
大松明が刈又からこぼれて地面に落ちてしまった。
逃げる観客。避ける参加者。
石階段に叩きつけられた大松明からは火の粉が溢れた。
「落とすな! 落とすな!」
「持ち上げるぞー!」
どこからともなく声が上がる。
私達は刈又を大松明に突き刺して、再び持ち上げた。
「ワッショイ!」
「「「ワッショイ!!」」」
「まだまだ声だせー!!! 声合わせろーーーー!!!!」
「はい!!!!」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
大松明がゆっくりと動き始める。
気を抜けばまた大松明が落ちる。まるで暴れる竜を皆でひっぱっているようだった。
「お前あっちに回れ!!」
「後ろから刺すなー。前から支えろ」
熟練者の指示が飛び交う。
「おまえらそんなんでいいとやー!!」
「なにしよっとかーーー!!」
観客としてやってきていたOBが私服のまま飛び込んできた。
「こうやって持つとやーーー!!」
彼らは私服のまま刈又を構えて大松明に差し込む。
「ほら、声声!」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「後2周ーーーー!!!!!」
「はい!!!!」
「お前、ポジション変えろーーー」
「刺す場所考えろーーー」
「慌てるな慌てるな」
「絶対落とすなよーー」
「何考えとるとやーーーー」
「声声声ーーーー」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
目の前を舞う火の粉。かすかに聞こえる鐘の音。観客からの励ましの声。
「3周回ったぞーーーーーーーーーー」
「はーーーーーい!!!!!」
「階段降りるぞーーーー。今度は落とすなーーーー」
「はーーーーーーーーーい!!!!!!」
私達は大松明を支えながら一歩一歩階段を降りた。
今度は落とさなかった。
ゴールに辿り着いた。
「落とすぞ!!!」
「せーーーーーーーーーのっ!!!」
私達は一斉に刈又を外した。
大松明が役目を終えたかのように地面に落ちる。
火花が宙を舞った。
「終わったーーー」
「戻るぞ戻るぞーーーー」
私達はそれぞれ知り合いに声をかけたりしながら公民館に戻った。
公民館に戻ると皆トイレに行った。寒いところから暖かいところに戻ると緊張が一気にとけた。
服に着替えて、再び料理を囲む。
参加者同士お疲れ様と称え合いながら酒を飲んだ。
皆喉ががらがらだった。
肌が火の粉で赤くなっていた。
こんなに大声を出したのは何年ぶりだろうか。
高校の体育祭ぶりかもしれない。
地元の人がやってくる。
「おつかれさまです。ありがとうございます」と挨拶された。
私達も「ありがとうございます」とお礼を言った。
聞くところによると、この鬼の修正会は夏くらいから準備をしているらしい。
久留米大善寺の鬼の修正会と比較して筑後市の方が過激なのだとか。
地元の人達は明日の朝7時から片付けらしい。
ほんとに頭が下がる。
参加者同士でビールを注ぎ合いながら「来年も出るんですか?」と互いに訊いた。
「いやぁー、どうですかね」と皆照れを隠しながら答えた。
でも、来年も出たいと思った。
祭りの時に生まれる奇妙な友情と喉が嗄れるほどの発声はおそらく大人になってなかなか味わえるものではないから。

Photo:H.Moulinette
Text:K.Takeshita

久留米探訪 其の壱:日本三大火祭り、正月の夜を炎で染める大善寺玉垂宮の鬼夜

日本には古来より多くの祭りがある。そしてその中でも奇祭と言われるのが火祭り,中でも1600年の歴史を持つ国の重要無形文化財、大善寺玉垂宮の鬼夜は、道祖神祭り(長野)、鞍馬の火祭(京都)、那智の火祭り(和歌山)と並び日本三大火祭りと呼ばれている。そう、本来は三大祭りだったのだが、その歴史と重要性、規模と独自性が甲乙つけがたいがために、今では四大火祭りとなっている。

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その歴史は古く、仁徳天皇五六年(368年)一月七日、藤大臣(玉垂命)が勅命により当地を荒し、人民を苦しめていた賊徒・肥前国水上の桜桃沈輪(ゆすらちんりん)を闇夜に松明を照らして探し出し、首を討ち取り焼却したのが始まりだと言われている。

鬼会と呼ばれる一連の行事は大晦日の夜に始まる。まずは神官が火打石で起こした御神火(鬼火)を護り天下泰平、五穀豊穣、家内安全、災難消除を祈願する。そしてその祭りのクライマックスが、一月七日の夜、闇に包まれた境内で灯された長さ13m、重さ1.2トンの巨大な松明6本を裸の若衆が引き境内を回る鬼夜だ。

一連の神事を行うと、大松明に火が灯され、境内を埋め尽くした観衆からは歓声が上がる。さらにはその大松明に若衆がよじ登り、大松明を縛っている縄を外していく。熱さに耐えながら縄を解くと、境内に集まった多くの観衆から再び歓声が上がる。

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6本の大松明は両側に陣取った「たいまわし」と呼ばれる裸の若衆が長い刈又(かりまた)と呼ばれる樫棒で支えながら、勇猛に神殿を時計回りで2度回るのだ。火の粉が舞い散り、「オイサッ ホイサッ」と言う掛け声とともに境内を移動するド迫力の大松明は一見の価値あり、その炎にあたると無病息災・家内安全・災難消除・開運招福と言われており、多くの人がその松明について歩くのだ。

一番松明だけは境内を一周した後に惣門をくぐり、社前の川に設けられた汐井場で 火が消され、それにより鬼は「シャグマ(赤熊)」らに護られ禊を済ませて神殿に帰っていくのだ。

新年早々真冬とは思えぬ熱気、松明の熱で汗だくになり、さらには燻製状態までに煙に燻されて祭りを満喫することができるチャンスなどそうあるものではない。これだけ歴史ある貴重な祭りだけに、わざわざ遠方から毎年訪れる人も多いのだ。まだこの祭りを体感したことがなければ、間違いなく損をしている。一見の価値あり、一度は必ず自身で体験すべきだろう。

そして体験と言えば、なんと隣町の筑後市には似たような祭り、熊野神社の鬼の修正会(県の重要無形文化財) が存在している。共通部分は多いのだがその由来は異なり、こちらは大善寺玉垂宮の鬼夜に比べると歴史は浅く、527年前の1492年に始まり、仏に罪を懺悔し無病息災や五穀豊穣を祈る祭りだ。巨大松明も長さは13mで同じながら少し軽量で、重さ500kgとなっている。また裸の若い衆が支えながら境内を3周するのも同じながら、松明を支えるの刈又(かりまた)の形状が少し違う上にしなるために松明を支えるのは容易ではない。また大善寺玉垂宮の鬼夜が賑わうのに対し、人手不足が顕著で昨今は市内外から公募しなければならない状況となっている。

見るだけでは満足しない人にはこちらがおすすめ、火の粉を被りながら祭り自体に参加してみるのがいいだろう。

H.Moulinette