【ワークショップ】八女の白壁をモノクロフィルムで愉しむ会

八女でモノクロフィルムで写真を撮るワークショップを行います!
参加者の写真を1枚MITOTEで展示します!

【日時】
・2月22日(土) 13:00〜16:00
13:00~14:00
モノクロフィルム&フィルムカメラについて説明
14:00~16:00
モノクロフィルムで八女の町並みを撮影

・3月14日(土) 11:30~13:00
11:30~13:00
ランチを食べながらプリントした写真を発表し合う

※フィルムの現像・プリントにお時間がかかるため、必ず両日ご参加ください。
※雨天でも開催する予定です。

【ファシリテーター】
森音広夢
竹下和輝

【参加費】
¥4,000(税込み)
フイルム現像・プリント代は別途実費でお願いします。
現像はまとめてこちらが出しに行きます。

【参加人数】
先着5名

【場所】
cafe MITOTE(〒834-0031 福岡県八女市本町219ー2)

【撮影テーマ】
白黒で残してみたい八女の白壁の町並み

【作品展示について】
参加者の皆さんが撮った写真を1人1枚ずつMITOTEで展示いたします。展示する写真は3月14日に選んでいただきます。

【フィルム&カメラに関して】
・モノクロフィルムは当日こちらから「FUJIFILM 黒白ネガフィルム ネオパン ACROS 100 35mm 36枚」を一本お渡しします。
・撮影後のフイルム現像・プリント代はお手数をおかけしますが実費でお願いいたします。
フイルム現像・プリント代の価格に関してはカメラのキタムラのサイト(http://www.kitamura.jp/)をご参考にしてください。
・当日こちらから35mmフィルムカメラを一人一台貸し出します。
・35mmフィルムカメラをお持ちの方は、ぜひご持参ください。

【主催】
KYism

【お問合せ】
OFFICE POCO FUKU
kumamonkazuemon@gmail.com(代表:竹下)

インフルエンサー「40いいね!」事件について

あれは僕が八女でまだバイトをしていた時の話。
ある日勤め先の代表がこんなことを言い出した。
「今度来る○○さん、ワークショップの料金は無料でいいから」
わざわざ代表が「無料でいい」というからにはさぞかし世話になった人に違いない。
僕は代表に「○○さんって誰なんすか?」と質問した。
すると代表は意気揚々とこう答えた。

「インフルエンサーたい!!」

インフルエンサー?
「インフルエンザ―じゃないとよ?」とオヤジギャグまで言われたが、大丈夫、拙者インフルエンサーであることはしかと受け止めている。
インフルエンサーとはそれすなわち影響を与える人のことである。
どうやら八女市というのはインフルエンサーにあの町この町を歩いてもらい、ワークショップも無料で体験してもらいそれをメディアで発信してもらって観光客を呼ぼうとたくらんでいたのだ。

そして約束の日、八女市に○○さんというインフルエンサーがやって来た。
○○さんとわざわざ伏せ字にしているのは気遣ってからのことではない。ほんとに僕はその人の名前を忘れてしまったのだ。
○○さんはオランダの女の人だった。美人だったと思う(よく覚えてないけど)。
僕の記憶に鮮明なのはインフルエンサーの容姿とかではなく、その仰々しさである。
カメラマンと通訳とアシスタントっぽい人。
カメラマンはSONYのα7の最新モデルに20万円くらいのジンバルをつけて撮影していた。
スタッフである僕らは完全に蚊帳の外で、とにかくワークショップをしている風の写真を撮るためにスタッフというノイズまで排除されて撮影をしていたのだ。
特に八女の伝統工芸にもワークショップにも興味のなさそうなインフルエンサー御一行はさっさと撮影を終えて撤収。僕らバイトはいつものバイト業務に戻った。
後日僕は上司とか代表に「あのインフルエンサーってどうなったんすか?」と訊いてみた。
すると、びっくり。
誰もあのインフルエンサーがどんなメディアを持っているのか知らないのだ。
県庁の人間から「インフルエンサーが行くから」と聞いていただけで、そのインフルエンサーがどんな影響力を持っているのか何も知らなかった。
それどころか、そのインフルエンサーにどんなことを発信して欲しいか計画もなかった。
ただ「八女の町は素敵なところだ。そこにインフルエンサーが来れば素敵に切り取ってInstagramに上げてくれるだろう。そうなれば観光客も増え、財政難だった八女にも転機が訪れる」と思っていたのだ。
そこでインフルエンサーの○○さんのInstagramアカウントを検索して覗いてみた。投稿一覧の中には確かに見慣れた八女の景色が。
八女の写真をタッチしてみて「いいね」の数を見てみる。

いいね!の数、40。

マジっすか。
インフルエンサーなのに40なんすか。
あのSONY α7に20万円のジンバルつけて撮った写真がいいね40なんすか。
それはインフルエンサーに力がないのか八女に魅力がないのかどっちなのさ。

また、別の日にこんなこともあった。
これまた県の人間が連れてきたよくわからない人。
中国の実業家らしい。
日本の文化に興味があって、歴史ある八女に視察に来ているのだとか。
「ワークショップの参加費は無料で」
いつものようにそう言われる。
まるで常連だからラーメン替え玉無料にしといて、みたいに気軽に言うが、ワークショップをするためには人件費材料費もかかっているのだ。
中国の実業家はジャケットを着て颯爽と歩いていた。
「はー、やっぱおしゃれかねー」
「高級車に乗ってるんでしょうね」
などと呟く八女人達
恥ずかしい。恥ずかしすぎるよ、マジで。
一通り八女の視察を終えた中国の実業家はこんなことを言った。
「来月から、毎月200人ずつ観光客を連れてきますね」
これに浮かれに浮かれまくった八女人、と福岡県庁。
「毎月200人かー!200人回すキャパあるかなーーー」
「もうバスがひっきりなしで来ますね」
「爆買いの人達だから、八女の伝統工芸品もたくさん作らないと!!」

中国の実業家がそんな約束をしたのが2018年の年末。
この記事を書いているのが2019年の年末。
未だ八女は観光客が増えていない。

最近僕はNetflixでFYREというドキュメンタリー映画を見た。
インフルエンサーに踊らされる世間。
八女の場合はFYREと違って結局人すら来なかったが、引っ掻き回されたという点では似ているところも多い。
観光課の人間などは自分の任期中にそれっぽい結果を残さないといけないからインフルエンサーとかブロガーとかインスタグラマーとかその時の流行をちょちょいと連れてくることが多い。
引っ掻き回したのは確かに外部のインフルエンサーだが、地方を潰すサイクルを生み出しているのはその地方の人間なのだ。

K.Takeshita

廃線探訪:皆知ってるけど見落とされがちな矢部線史跡-八女伝統工芸館-

皆さんは八女伝統工芸館をご存知だろうか?
福岡県は八女市本町にある八女の伝統工芸品を展示、紹介するための箱物である。
一応観光地なのだが、店内はしょぼく特に広報に費用をかけているわけではないので観光客はおろか地元の人もあまり訪れない。
駐車場だけはやたらでっかいので、周囲の人間からは「あ、なんか広くて便利な駐車場がある!」程度の扱いだ。

実はこの八女伝統工芸館には矢部線の鉄道史跡がごまんと遺されている。
なので、今日はそれら鉄道史跡について紹介していこうと思う。

まずは八女伝統工芸館の外から見ていこう。
八女伝統工芸館の北西に位置する駐車場の側溝に注目したい。

©KYism

工のマークがついた杭が遺っている!!
このブログの読者ならもうおわかりだろう。
工のマークがついている杭、それはつまり国鉄の境界杭だ!!
矢部線の路線が走っていた場所で国鉄の境界杭を見つけたら、それは100%矢部線の鉄道史跡だと言っていい。

駐車場の側溝沿いを西に進むと伝統工芸館が管理している花壇がある。
ここでは和紙の原料になる楮が植えられているのだが、なんと花壇の草むらの中にも…、

©KYism

境界杭が遺されていたっ!!!

矢部線探訪をしている人のブログやウェブサイトを片っ端から見ているのだが、この駐車場の境界杭に気づいている人は一人もいない
たしかに駐車場の側溝なんて普通は覗かないし、花壇の草むらなんて普通は入らないだろうから気づかないのは当然だろう。
だが、決して覗いて怒られる場所ではないので、これから矢部線探訪をしようと思っている人はぜひチェックしてもらいたい。
国鉄の境界杭は、廃線マニアなら垂涎モノのはずだ。

さて、八女伝統工芸館の中に入ろう。
入り口から入って左手、トイレのすぐ近くに矢部線の資料が展示されている。

©KYism

矢部線の車両の写真や運賃表が壁に展示されている。
運賃表に傷や凹みが残っているのが微笑ましい。

©KYism

時刻表まで遺っている。
時刻表に書かれている「当駅」とは「筑後福島駅」のこと。
八女伝統工芸館と隣の鉄道記念公園はかつて国鉄矢部線「筑後福島駅」が建っていた場所なのだ。
筑後福島駅は2面3線の駅構造で、単式ホームと島式ホームがそれぞれ1つずつあった。
八女市の代表的な駅だけあって規模は比較的大きく、よく通学のために高校生が利用していたという。
町でちょちょっとインタビューをすれば、50代、60代の人から「お母さんと電車に乗って八女に遊びに来ていた」と思い出を聞くことができる。
今では信じられないが、八女市には昔百貨店の岩田屋があった。
矢部線に乗って岩田屋に遊びに来ていた記憶を有している人は少なからずいるようである。
当時子どもだった人たちも今では立派なおじさん、おばさん。下手すりゃ孫がいるかもしれない。
鉄道の思い出はなかなか感慨深いものだ。

八女伝統工芸館内を西に進むと籠を編んでいるおじさんが見えてくる。
このおじさんの向こう側、民俗資料館と手漉き和紙資料館の間の空間になんと矢部線の線路が遺されている

©KYism

ほんの少し錆びつきつつもきれいな形で遺っている線路。
触るもよし舐めるもよしな距離感なのだが、なぜか来客者のほとんどがこの線路に気づかない。
あまりにも平然と遺されているからだろうか。お客さんは廃線や矢部線に興味がないのだろうか。
線路の断面図も見れて素敵な場所なのに、もったいない。

民俗資料館や手漉き和紙資料館の周りに他に鉄道史跡がないか巡ってみたが、それらしい物は見つからなかった。
どうやら工事の際にきれいさっぱり取り除いたようだ。

八女伝統工芸館の東側に行くと業務用のゴミ捨て場がある。
このゴミ捨て場の敷地内にも矢部線の線路が遺されている

©KYism

こちらはレールとマクラギと道床がしっかり遺されている。
マクラギが少し欠けているのもテンションがあがる。
惜しいのはなぜ線路の横にゴミ捨て場を作ってしまったのか。
八女市は本気で八女の歴史を大切にするつもりがあるのか。
八女の伝統を継承する施設で、矢部線の隣にゴミ捨て場を設置するなんてなんたる皮肉。片腹大激痛である。

なんもかんも政治が悪い八女伝統工芸館を後にして鉄道記念公園に向かってみよう。
鉄道記念公園の脇には藤棚がずらーっと並んでいる。

©KYism

この藤棚、実は矢部線のレールで造られている

©KYism
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見上げれば見事なまでの建築物。
ずいぶん粋なことをしたもんだと感心する。
だが地元の人はこの藤棚が矢部線のレールで造られている事実を知らない。
どうやら八女の有象無象は自分の土地の歴史に無関心なようである。

藤棚を歩き、鉄道記念公園にたどり着くと看板が見えてくる。

©KYism

筑後福島駅の歴史が書かれた看板。ディーゼルカーがいつ登場したのかまで書かれた丁寧っぷり。
蒸気機関車の写真まで遺されている。
長年日光にさらされて看板の写真が色あせているが、今後これは修復されるのだろうか。
完全に色が抜けて写真が消えてしまったら、いよいよ矢部線の資料がなくなってしまうだろう。

鉄道記念公園には踏切と線路と駅舎が遺されている。

©KYism
©KYism
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これらはモニュメントであり、当時のまま遺されているわけではないようだ。
駅舎も外観が新しく、中はただの倉庫になっている。
こんな中途半端な倉庫を作るくらいなら、駅舎をそのまま残してくれたら良かったのだが…。
ちなみに2003年2005年あたりだと公園内に駅のホームが遺っていたようである。
2019年現在ホームは遺っていない。
ぜひホームにお目にかかりたかった。
というか、福岡県志免町の志免鉄道記念公園にはホームや線路を活かした遊具やベンチがあるのだから、筑後福島駅も志免鉄道記念公園のような場所にすればよかったのに。

鉄道記念公園は幼稚園や小学校の遠足コースに含まれており、休日、平日問わず子どもたちで賑わっている。
後何十年もすれば矢部線のことを知らない世代だらけになってしまう。
その時この公園はなんと呼ばれるのだろう。もしかしたら鉄道記念公園という名前すら忘却されてしまうのかもしれない。

 

K.Takeshita

歴史探訪:堺屋(旧木下家住宅)という文化財、乃木希典将軍の印鑑紛失事件とは

重要伝統的建造物群保存地区の八女の白壁通りには古い建物が多く立ち並ぶ。文化財指定されているものも多いが、その中でも際立った存在なのが堺屋(旧木下家住宅)だろう。江戸時代からの酒造業を営んでいた一族の邸宅であり、建物は贅沢の限りを尽くした素晴らしい建物だ。

©KYism

そんな堺屋の離れ屋敷のつくりは豪華絢爛だ。屋久杉の一枚板の欄間、黒柿の床柱、紫檀の床框、さらには欄間、釘隠し、天井などどこを見ても当時の繁栄を感じさせる。また採光用の彫りガラス、陶器のトイレなどを含め、その時代時代の最先端と、伝統的技法、西洋的技法などが組み合わされ、建築物として見ごたえがある。

しかし今現在当時の姿を残しているのは来賓客を宿泊させたりしていた離れ座敷の部分だけだ。八女市に寄贈され、その後改築されこの部分だけが残されたのだ。堺屋のある東京町(ひがしきょうまち)の人たちは、「なぜ改築してしまったのか・・・。」と今になって嘆くが後の祭りだ。実は明治時代に建てられた一号倉庫、三号倉庫も八女市の文化財ではあるが、こちらは見どころもなく、ほとんど訪れる人もなく、ほとんどの人は離れ座敷だけを見て帰ってしまう。あまりにも説明も何もなくただ立っている一号倉庫、三号倉庫はもはやただの物置にしか見えない。

©KYism

そんな離れ屋敷には面白い逸話がある。明治19年4月15日と16日に、日露戦争の英雄でもある乃木希典(当時は熊本第六師団第十一旅団長)はこの堺屋に宿泊したのだ。乃木希典と言ってもピンとこない人が多いかもしれないが、最近で言えば乃木坂46の乃木坂は彼に所縁があるといえばわかるかもしれない。

乃木希典はこの堺屋宿泊時に印鑑を紛失してしまったのだ。そのことは本人の日記にも残されており、「印鑑紛失」と記されている。そして時は立ち、昭和14年になり、木下家が先代の遺品を整理していた際に、「乃木大将の印、明治17,8年ころの宿泊」という書付と共に印鑑が出てきたのだ。そしてその印鑑はそのまま下関の乃木神社に寄贈されたのだ。乃木の殉死後27年たって、その印鑑は再び表舞台に出てきたのだ。

©KYism

大事な印鑑をなくした乃木希典は、その後新たな印鑑を発注したが、気に入らず作り直しを命じている。今のようにシャチハタや出来合いの印鑑がなかった時代、全ては手彫りの一品物、お気に入りに変わるものはそう簡単には作ることができないのだ。ましてやそれが自分の名前を印すものであれば、なおさらのことだろう。

ここでは訪れるものが、乃木将軍が泊まった頃よりも静かな時間を満喫することができる。皮肉なことではあるが、当時に比べ賑わいがを失われたことで、ゆったりと流れる時間と歴史満喫することができる。ただ本来開館時間は5時までなのだが、あまりにも人が来ないこと、地元の方が管理している為か、人がいても夕方4時過ぎには雨戸を閉めたりして見れなくなってしまうのは残念だ。一応声掛けはしてくれるのだが、ぎりぎりの時間帯に見に来た人はおそらく中を見ることはできないだろう。観光地としては致命的な田舎あるあるだ。

©KYism

また堺屋の管理棟でもあるのだが、白壁通りに面した場所はもともとカフェがあり、それが蕎麦屋になったのだが、もう長らく使われていない。最高のロケーションでもあり、ここを地元の工芸品の展示などに使えれば人の導線ができることもあり、できれば使わせてもらえないだろうかという相談を何度も持ち掛けているのだが、「使う予定があるから」と断られてからはや2年以上がたっている。宝の持ち腐れ、使えるツールの未使用は単なる無駄でしかない。

素晴らしい文化財、見ごたえのある物件だが有効活用できているとは言い難い。しかしそこには歴史があり、一見の価値がある。

H.Moulinette

廃線探訪:チャリラーの僕が矢部線跡をサイクリングしてみたよ(羽犬塚駅〜八女総合体育館)

今回は自転車に乗って矢部線跡を巡っていきたいと思う。
ちなみにスポーツバイクは嫌われるおっさんの趣味ベスト3に入ってるのだとか。
それに加えて廃線趣味なのだから、このウェブサイトはモテない方向に猪突猛進しているとしか思えない。

それはさておき、このサイクリング、スタート地点は福岡県筑後市にある羽犬塚駅から始まる。

この羽犬塚駅、かつては国鉄矢部線の駅だった。
そのため羽犬塚駅には現在も旧羽犬塚駅跡が残っているのだ。

それは改札口入ってすぐの駅のホーム。
このホームを筑後船小屋駅方面にずっと歩いていくとフェンスにたどり着く。

このフェンスの奥に見えるホームが旧羽犬塚駅のホーム跡だ。

こんなフェンス簡単に乗り越えることができるが、一応僕も三十路。
勝手なことしては駅員さんに怒られそうなので、フェンス越しにホームを眺めるだけにする。

 

改札口から駅を出て鹿児島本線沿いに筑後船小屋方面に進んでいくと、橋の跡が見れる。

花田橋のとなりにひっそりと残る橋台。ここに昔矢部線の線路が走っていた。
2003年の段階ではこの花田橋近辺には矢部線の線路が走っていた跡がくっきりと残っていたようだ。
具体的に説明すると、草むらの中に線路跡が白くくっきりと残っていた
2019年現在、線路跡を確認することはできなくなっている。残念。

旧ホーム横のアスファルト部分が、矢部線の線路が走っていた所。現在ここは立入禁止。この空間は今後どのように活用するのだろう。

 

さらに鹿児島本線沿いに南下していく。
すると、和泉踏切が見えてくる。

この踏切のアスファルト部分には亀裂が入っている。
矢部線のレールを剥がさずにアスファルトで埋めたと思われる。
このアスファルトを剥がせば中から線路が出てくるのだろうか。
だとしたら、剥がしてみたい。
まさに廃線野郎たちのためのタイムカプセル。

和泉踏切の足元にも注意されたし。

しれっと境界杭が残されている。
この「工」と書かれた境界杭は旧国鉄の境界杭なのである。
どうやら殖産興業を推進するために設置された工部省の「工」を意味するマークのようだ。
工部省は造船、鉱山、製鉄、そして鉄道などの事業を管轄していた。
なぜ境界杭に「工」というマークが採用されたかというと、工部省の「工」と鉄道のレールの断面図が「工」みたいな形をしているから。
なかなか明治政府は粋なことを考える。

JRになってからの境界杭はこのJRというマークが入っている。旧国鉄を追っている方々は区別されたし。

 

さらに南下すると道がカーブを描き始める。

このカーブを進んだところに桜の木がある。
この桜の木の根元に側溝があり、その側溝にはなんと…、

「工」のマークの境界杭が!
こんなところにも矢部線の史跡があった。

 

道沿いにひたすらペダルを漕ぐ。
畑の中をのびる弧を描いた道。

この道が矢部線跡。
道の脇の草むらを見ると…、

「工」のマークの境界杭が!!

矢部線に興味を持たなければ決して見向きもしなかっただろうコンクリートの小さな鉄道史跡。
畑を潰して住宅を建ててる土地がちらほら見られたが、これらの境界杭もいつか撤去される日が来るのだろうか。
そう思うと淋しい、惜しい。
ちなみにこの辺りの土地の衛星写真をGoogle Mapとか地理院地図で見ると畑の中をすらっと曲線を描いた道(矢部線跡)が走っているのを見ることができる。
いかにも昔線路が走ってましたよーと言わんばかりのくっきりした曲線の道路は画的な気持ちよさがある。
廃線マニアはぜひ閲覧されたし。

ペダルを漕いで道なりに進む。

野町北の信号を通り過ぎ、さらに道なりに進む。
この信号の先が花宗駅跡だ(今はただの道路になっている)。
花宗駅は一面一線の単式ホームで、駅舎もない無人駅だった。

 

ここからさらに道沿いに進む。

八女インター南の信号を通り過ぎ、さらに道なりに。

すると九州自動車道(鵜の池橋)にたどり着く。

この橋に関してはfukupediaというサイトで面白い考察をしている。
橋についている黒い汚れは、矢部線のディーゼル車の排煙による煤ではないかという考察。
かなり面白い着眼点だと思った。
ただ、僕がサイクリングしたこの日は工事中で黒い汚れを確認できず。

 

さらに八女方面に進むと鵜池団地という市営の団地が見えてくる。
この辺りがかつて鵜池駅が建っていた場所。
単式ホーム一面一線、矢部線開通とともに開業した駅で開業当初は木造の駅舎があったが、1962年に駅舎は撤去され無人駅となった。開業当初は開業記念としてホームに桜の木が植樹されたらしい。

現在県道96号から鵜池団地に入るための道路は、かつて鵜池駅に向かうための道路だった。

 

鵜池団地のすぐ隣にはレンガ造りの建物がある。

これは、農業用倉庫(現在の使用状況は不明)。
建物の趣きはかなり好み。

 

道沿いに自転車を進めると住宅街が見えてくる。
JAふくおか八女の看板手前のこの辺り。

この辺りに蒲原駅があったらしい。
駅構造は単式ホーム一面一線。屋根とベンチがあるだけの小さな駅だった。
道路脇などを色々観察したが、駅跡らしき痕跡はどこにもない。
きれいさっぱり史跡が取り除かれている。

蒲原駅跡を通り過ぎると八女伝統工芸館と八女福島のトンネル藤が見えてくる。

八女伝統工芸館と鉄道記念公園は矢部線マニアなら絶対訪れるべき場所。
矢部線を扱ったサイトなら必ず取り上げられる場所だ。
なぜならこの場所はかつて筑後福島駅だった場所で、現在も鉄道史跡がしっかりと遺されているから。
だが、この場所についてテキストを書き始めたらそれこそ長文駄文になってしまうので、また別の記事で取り上げることにする。

八女伝統工芸館正面出入口、ドラッグストアのすぐ隣のアパートには思わぬ鉄道史跡が残っている。

『駅前アパート 管理 立花支所』と書かれたものすごく錆びついた看板。
駅前、とはもちろん筑後福島駅のことだ。

 

八女伝統工芸館を通り過ぎて、さらに黒木方面へ進む。
すると八女総合体育館へたどり着く。

八女総合体育館の裏手の道が旧矢部線跡。
この道路の脇の畑に注目すると…、

おなじみ「工」のマークの境界杭がある!!
もう「工」のマークの境界杭を見ると落ち着くようになってしまった。

国道3号線の手前、八島鉄工所の前に今古賀駅があった。
国道の真下をディーゼル車が通るってどんな感じだったんだろうか。
もしかしてSLが通るときもあったんだろうか。
その時の風景は、もう見ることができないのがとても残念。

 

羽犬塚駅から八女総合体育館までの走行時間は約2時間弱。
道中色々探索、撮影しながらのライドだったのでかなり時間がかかってしまった。
そこまで探索しないのなら走行時間は1時間弱だと思われる。

今回のサイクリングはここで終了。
続きはまた今度。

※以下、参考にしたサイト
【八女市&筑後市の旅】旧国鉄矢部線を辿る | fukupedia
廃線探索 矢部線 | 歩鉄の達人
矢部線廃線跡調査 | 失われた鉄路を求めて
国鉄の駅 in 九州 | モノフォトショップ添田カメラ

K.Takeshita

廃線探訪:トンネルの跡はホタルの国でした -福岡県八女市上陽町の旧北川内隧道-

さて、廃線探訪の二回目。今回も旧国鉄矢部線跡を巡っていこうと思う。
八女市上陽公民館のすぐ近くに旧北川内トンネルがある。
現役時代はこのトンネルを抜けて黒木方面に列車が走っていた。

このトンネル、探索に行くときは注意しなければならない。
なぜなら春夏秋冬どの季節に行っても藪で覆われている。長袖長ズボンは必須。
地面もぬかるんでいるのでサンダルなんかで行くものじゃあない。
しばらく人が来た形跡はないし、スプレー缶などのゴミは落ちてるし、きちんと手入れされてる風はない。

トンネル内にはフックが残されていた。昔はここに荷物を吊るしていたのだろうか。
こういう画は廃墟好きの心をくすぐる。

トンネルの先は壁で覆われていた。

このトンネル、常に天井から水が落ちている。ここが洞窟ならとっくに鍾乳石や石筍だらけになっていてもおかしくない。
たぶん山の地面に吸い込まれた水がトンネルの天井から滴っているのだと思われる。
トンネルの側に行くと水滴が滴る小気味好い音が聞こえる。
この様子がまるで地底湖みたいで面白い。

トンネル手前の線路はコンクリートで埋められている。
形状から察するに、ここは水槽の役割をしているようである。
そして、この水槽の中の水がはんぱなくきれいなのだ。

マジで透明。透き通ってる。
水の底をよく見ると、生痕が見られる。
この生痕、カワニナによるものだった。
カワニナとは淡水に棲む巻き貝の一種で、ホタルの幼虫の餌なのだ。
つまり、この旧北川内トンネル跡にはホタルの幼虫がいる可能性がある!!

色々とネットで調べた所、北川内トンネル跡はホタルの養殖場になったという記述を見つけた。
個人のブログなので情報の信憑性はわからないが、可能性としてありえなくもない。
以前八女の青◯会議所の人達が「今の子供達は不幸だね。身近にホタルいないんだもん。いつかホタル復活させたいね」と嘆いていたが、いやいや、いるじゃねぇかこんな近くに!!
てか、この旧北川内トンネルの野放し感なんなの。
ホタルの幼虫がいる可能性あるならもっとちゃんと保存しないとだめでしょうに!!
まさかここもかの有名なたちばな体育館のSLみたいに遺したはいいが責任者不在の廃れ放題なのだろうか。

線路が走っていた場所は道路になっている。
トンネル以外は矢部線の痕跡が根こそぎ削り取られていた。

K.Takeshita

ぼんぼり祭りを考える:主役に抜擢されるべき八女の「箱雛」、景観破壊度抜群のピンクののぼりに観光客から「がっかり」との声、リピーターを生むために必要なこと

八女市の白壁の町並みで平成9年より毎年行われるぼんぼり祭り、全国有数のひな人形の産地として毎年2月中旬から3月下旬にかけて行われている。福岡県は雛人形の生産量が埼玉県に次いで全国で2位、産業として盛んである。

今現在は量産品、産業としての雛人形ではあるが、過去には八女には独自の雛人形があった。江戸時代から昭和の時代にかけて、仏壇屋や大工の副業として作り続けられてきたのが「箱雛」だ。仏壇の生産が盛んだったこともあり、衣装は仏具の生地、さらには八女和紙を使い、飾りの小物は今では国の伝統工芸品の指定を受けている八女提灯の金具を利用し、仏壇同様に「人形が箱に入っている」状態で飾るように作られていた。皮肉なことに、産業として八女で雛人形が量産されるようになると、八女の個性であった本来の「箱雛」はその姿を消してしまった。 今では量産品の雛人形を箱に収めて箱雛とはしているが、その姿は本来のそれからは遠いものとなってしまった。

©KYism

近隣の柳川市はさげもん、吉野町はおきあげ雛、臼杵の紙雛と九州は独特の雛人形が多い中で、八女は本来であれば「箱雛」を前面に押し出すべきが、量産品の雛人形がその主役となってしまっている。産業が量産品中心であり、そのシェアが全国2位だから始まった祭りであり、「箱雛」は過去の歴史の一端でしかない、というようにさえ見えてしまい、観光客にも独自性である「箱雛」の良さが伝わっていない。何よりも昔ながらの箱雛を今では作る職人さえいないという現状が、職人の街としては寂しい限りだ。作りたいという職人はいるのだが・・・

せっかくの祭り、訪れた観光客がここでしか味わえないお雛様を体験してもらうべきであり、その主役は「箱雛」であるべきだ。白壁通り沿いの民家が自宅の雛人形を通りの窓越しに展示し、また横町町屋交流館でも雛人形の展示を行っているが、全体数からすれば箱雛はごく僅かであり、どこもその説明に乏しいのが現状だ。横町町屋交流館では箱雛は飾ってあるが、まるで人形供養のごとく大量に並べられた同じ顔の量産品がメインステージを陣取ってしまい、すっかりわき役となってしまっている。毎年のポスターでもその箱雛が全面的にフィーチャーされることはなく、地元作家の素晴らしい切り絵で飾られてはいるが、ごくありふれた「雛祭り」のポスターになっているのもとても残念だ。

©KYism

が故に没個性的なひな祭り感が漂い、一部イベント日程以外は観光客がまばら、閑散とした光景が例年定番となっている。正直何度も訪れたいというレベルの祭りではなく、彼らがリピーターとなるには程遠いと言わざるを得ない。観光を謳う地域として、明らかにかけた予算に見合った観光客の数は獲得できていないのが現状だ。

また問題視すべき問題点はもう一つある。白壁通りという古い美しい街並みを謳いながら、祭り期間中は派手なピンクののぼりがそこら中にに乱立するのだ。最近ではインスタ映えという言葉が一般化し、SNSなどで写真などをあげることが一般的になっている。しかしこのピンクののぼりのおかげで、せっかく町を訪れた観光客からは「写真映えしなくなる」、「なんでもっと配慮したものにならないのか」、「街並みに合っておらずがっかりした」という声が毎年のように聞かれる。例えば京都では自動販売機ですら街並みに合うように色合いを規制したりするなど、「観光とは人が何を求めてくるのか」、ということにきちんと向き合っている。八女は観光を謳いながらも、その入り口をすでに見落としている残念さが、現状の「地方」レベルなのだろう。無難なパンフレットやポスターにかける予算をかけるくらいならば、それを部分的にカットしてでも、まずは”訪れた人が心地よく感じる景色”、”環境に配慮した色合いとデザイン”ののぼりに切り替えるなど基本的対策が必要だろう。それが街並みを観光の目玉、起爆剤としたい、またすべき町のやるべきことだろう。

そして「箱雛」という伝統をしっかりと掲げ、「ここでしか体感できない雛祭り」という演出をしてこそ、八女の良さが十分に発揮できるのではないだろうか。

H.Moulinette

廃線探訪:居残った看板が駅の証跡 -福岡県八女市上陽町の北川内駅-

みなさんは福岡県筑後地域にかつて矢部線と呼ばれる路線があったことをご存知だろうか。
矢部線は1945年に開通した日本国鉄線の地方路線の一つである。
終戦後日本で初めて開通した路線で、羽犬塚と黒木の間の19.7kmを繋いでいた。
本来は山奥の矢部村まで線路を伸ばす予定だったが、その夢叶わず第1次特定地方交通線に指定され1985年に全線廃止となった。

今回私が訪れたのは福岡県八女市上陽町にある北川内駅跡。
北川内駅は1945年12月26日矢部線開通とともに開業された。
1962年には業務委託駅化。
1971年2月20日には貨物及び荷物の取扱停止、無人駅化し、1985年矢部線廃止とともに廃駅となった。
廃駅時には1面1線の単式ホームで、駅舎はなく待合室があるだけだった。
駅が現役時には駅前広場に「大伴部博麻出身の地」と書かれた標柱が建てられていたようだ。

北川内駅があった場所は、現在八女市地域福祉センターが建っている。
駅の敷地内だったと思われる場所には福祉センター、駐在所、消防団の建物、保健センターが建っており 駅の跡など見つからない!!

歩道と車道の間の段差がそれっぽかったので「まさかこれは駅のホームの名残か!!??」と胸が熱くなったが、文献を調べたらそういうわけでもなさそうで、沸騰仕掛けの胸はすぐに雪で冷まされた。

福祉センター前を走っている道路がかつて矢部線が走っていた場所。
道路は緩やかなカーブを描きつつもまっすぐ走っている。

駅の痕跡は、実はしれっと残っている。
それがこちら。

「…(中略)…駅前駐車場を御利用下さい」と書かれている。
これは北川内駅があった頃の名残。

道路に引いてある斜線部分が看板に書かれている駐車禁止スペース。
あまりにも馴染みすぎてて見落とすこと間違いなしの鉄道史跡。

ちなみに駅前駐車場とは北川内駐在所の隣にある駐車場のこと。
今も地域を見学するためなら無料で駐車できる。

文献やウェブサイトで色々調べていると北川内駅が現役だった頃の駅名標のローマ字表記は「KITAKAWATHI」だったようだ。
「THI」では「ち」でなく「てぃ」である。
「ピザ」じゃなくて「ピッツァ」でしょみたいな感じだろうか。
この駅名標が残ってたらかなり面白かったのに非常に残念。

K.Takeshita

八女伝統工芸館唯一の魅力だった100円で飲めるコーヒーがクソ不味くなった件

あなたが八女に出かけたとしよう。
例えばサイクリング。
例えばオルレ。
出かけ先で楽しい時間を過ごし、帰宅途中小休止も兼ねて最後にちょっとだけ寄り道しようとする。
できれば駐車場が広くてトイレも気兼ねなく使えてお茶なんて飲めたらいいなぁ。
そんな場所を求めてたとする。
そんな場所が実は八女市内に一つだけある。
それは八女伝統工芸館の中のコーヒーメーカーがあるところだ。
ここのコーヒーメーカー、100円入れたら挽きたてのコーヒーが飲める。

いや、待て!
その前に八女伝統工芸館ってなんやねん!?という声が聞こえてきそうだ。
八女伝統工芸館とは八女市内にある箱物である。
建物の中には仏壇や提灯、和紙など八女に昔から伝わる伝統工芸品が展示されている。

はじめて私がここのコーヒーを飲んだのは1年半ほど前。
友人と伝統工芸館を訪れたときだった。
友人は「ここのコーヒー、美味しいんだよ」と言って私にコーヒーを奢ってくれた。
その友人はご飯と味噌汁を作らせたらそれはそれは不味い味噌汁と白飯ができあがる天才で、そんな味音痴の友人が美味いというコーヒーなんてとても信じられなかった。
が、おごってもらった以上飲まない訳にはいかない。
私はおそるおそる口に含んでみた。

ん!

あれ!?

うまいじゃん、これ!!

そう、美味かったのだ。さすがにス○ーバックスとかド○ールには勝てないがコンビニのコーヒーとまともに闘えるくらいは美味い!
かくして私はサイクリングの後に伝統工芸館でコーヒーを飲むことにハマったのだ。

……つい最近までは。

なぜかこのコーヒー、突然不味くなってしまった!!
舌触りは粉っぽく、臭いは薬臭い。

たぶんコーヒーが不味くなったのは、秋に行われる地元のお祭り「あかりとちゃっぽんぽん」よりも後。
お祭りの期間中はコーヒーメーカーが使用中止になるから、ノズルかなにかが循環されなくて味に影響しちゃったんだろうと思う。
ともあれコーヒーの味に落胆した私は伝統工芸館で小休止するのを止めた。
だってコーヒーを飲む以外で伝統工芸館に行く理由がないんだもの。
工芸館内の展示品なんて1回見れば満足なわけでさ。
勤続20年の職員に話を聞くと伝統工芸館が出来たばかりの頃は工芸館の中で八女茶が飲めたそうだ。
今はそのサービス跡形も無いけど。
もったいないことするよね。
伝統工芸館でお茶飲めないと意味ないじゃん。

K.Takeshita

KYismには愛されるべきキャラクターがいる

久留米と八女を移住者目線から語るサイトがいよいよスタートしたが、何か一つ足りない、そう思い構想段階から考えていたのが公認キャラクターだ。サイトを覚えていただくうえでも、さらにはその先いろいろな発展性を考えた時に、それぞれ地域を象徴するキャラクターを作ることは必然だった。様々な伝統や歴史、産業溢れるこの地域の象徴として生まれたのが、くるめちゃんと八女茶人、これからこのサイトの秘かな人気者となっていくだろう。

くるめちゃんはその名の通り久留米出身、藍色の久留米絣の着物風ドレスを着ている現代っ子の女の子だ。髪の色は籃胎漆器に使われる漆の赤、性格は天真爛漫、新しいこと好きで活発、誰にでも好かれる可愛い子だ。

八女茶人は八女を代表する歴史的文化財の石人と特産品の八女茶から生まれたハイブリッドキャラクターだ。存在感抜群だが無口で寡黙、喋らせても口下手なのが玉に瑕だが、お茶目でユニークな表情で愛されるキャラだ。腰には刀、石人の中でも武人であり、これから軽~くすべての事柄をぶった切っていくという心構えの表れだ。

デザインをしたのは京都在住の可児葉月さん、和紙アーティストやイラストレーター、デザイナーとして活躍をしている。なぜ地元の人間ではないのか、それはやはりこのサイトを運営する僕ら同様に客観的にこの地域を見るためには地元の人間ではない人間の視野が必要だったからだ。客観的にこの地域を見て捉えてもらい、そして生まれたのがくるめちゃんと八女茶人の二人(?)のキャラクターだ。

多くの伝統と歴史が積み重ねられてきたこの地域にとっての新しいエッセンスとなるべく誕生した二人の個性的なキャラ、どんどんとその活躍の場を広げていってほしい。もしこれらキャラクターを使いたいという方がいればご一報をいただきたい。

KYism