皆さんは八女伝統工芸館をご存知だろうか?
福岡県は八女市本町にある八女の伝統工芸品を展示、紹介するための箱物である。
一応観光地なのだが、店内はしょぼく特に広報に費用をかけているわけではないので観光客はおろか地元の人もあまり訪れない。
駐車場だけはやたらでっかいので、周囲の人間からは「あ、なんか広くて便利な駐車場がある!」程度の扱いだ。
実はこの八女伝統工芸館には矢部線の鉄道史跡がごまんと遺されている。
なので、今日はそれら鉄道史跡について紹介していこうと思う。
まずは八女伝統工芸館の外から見ていこう。
八女伝統工芸館の北西に位置する駐車場の側溝に注目したい。
工のマークがついた杭が遺っている!!
このブログの読者ならもうおわかりだろう。
工のマークがついている杭、それはつまり国鉄の境界杭だ!!
矢部線の路線が走っていた場所で国鉄の境界杭を見つけたら、それは100%矢部線の鉄道史跡だと言っていい。
駐車場の側溝沿いを西に進むと伝統工芸館が管理している花壇がある。
ここでは和紙の原料になる楮が植えられているのだが、なんと花壇の草むらの中にも…、
境界杭が遺されていたっ!!!
矢部線探訪をしている人のブログやウェブサイトを片っ端から見ているのだが、この駐車場の境界杭に気づいている人は一人もいない。
たしかに駐車場の側溝なんて普通は覗かないし、花壇の草むらなんて普通は入らないだろうから気づかないのは当然だろう。
だが、決して覗いて怒られる場所ではないので、これから矢部線探訪をしようと思っている人はぜひチェックしてもらいたい。
国鉄の境界杭は、廃線マニアなら垂涎モノのはずだ。
さて、八女伝統工芸館の中に入ろう。
入り口から入って左手、トイレのすぐ近くに矢部線の資料が展示されている。
矢部線の車両の写真や運賃表が壁に展示されている。
運賃表に傷や凹みが残っているのが微笑ましい。
時刻表まで遺っている。
時刻表に書かれている「当駅」とは「筑後福島駅」のこと。
八女伝統工芸館と隣の鉄道記念公園はかつて国鉄矢部線「筑後福島駅」が建っていた場所なのだ。
筑後福島駅は2面3線の駅構造で、単式ホームと島式ホームがそれぞれ1つずつあった。
八女市の代表的な駅だけあって規模は比較的大きく、よく通学のために高校生が利用していたという。
町でちょちょっとインタビューをすれば、50代、60代の人から「お母さんと電車に乗って八女に遊びに来ていた」と思い出を聞くことができる。
今では信じられないが、八女市には昔百貨店の岩田屋があった。
矢部線に乗って岩田屋に遊びに来ていた記憶を有している人は少なからずいるようである。
当時子どもだった人たちも今では立派なおじさん、おばさん。下手すりゃ孫がいるかもしれない。
鉄道の思い出はなかなか感慨深いものだ。
八女伝統工芸館内を西に進むと籠を編んでいるおじさんが見えてくる。
このおじさんの向こう側、民俗資料館と手漉き和紙資料館の間の空間になんと矢部線の線路が遺されている。
ほんの少し錆びつきつつもきれいな形で遺っている線路。
触るもよし舐めるもよしな距離感なのだが、なぜか来客者のほとんどがこの線路に気づかない。
あまりにも平然と遺されているからだろうか。お客さんは廃線や矢部線に興味がないのだろうか。
線路の断面図も見れて素敵な場所なのに、もったいない。
民俗資料館や手漉き和紙資料館の周りに他に鉄道史跡がないか巡ってみたが、それらしい物は見つからなかった。
どうやら工事の際にきれいさっぱり取り除いたようだ。
八女伝統工芸館の東側に行くと業務用のゴミ捨て場がある。
このゴミ捨て場の敷地内にも矢部線の線路が遺されている。
こちらはレールとマクラギと道床がしっかり遺されている。
マクラギが少し欠けているのもテンションがあがる。
惜しいのはなぜ線路の横にゴミ捨て場を作ってしまったのか。
八女市は本気で八女の歴史を大切にするつもりがあるのか。
八女の伝統を継承する施設で、矢部線の隣にゴミ捨て場を設置するなんてなんたる皮肉。片腹大激痛である。
なんもかんも政治が悪い八女伝統工芸館を後にして鉄道記念公園に向かってみよう。
鉄道記念公園の脇には藤棚がずらーっと並んでいる。
この藤棚、実は矢部線のレールで造られている。
見上げれば見事なまでの建築物。
ずいぶん粋なことをしたもんだと感心する。
だが地元の人はこの藤棚が矢部線のレールで造られている事実を知らない。
どうやら八女の有象無象は自分の土地の歴史に無関心なようである。
藤棚を歩き、鉄道記念公園にたどり着くと看板が見えてくる。
筑後福島駅の歴史が書かれた看板。ディーゼルカーがいつ登場したのかまで書かれた丁寧っぷり。
蒸気機関車の写真まで遺されている。
長年日光にさらされて看板の写真が色あせているが、今後これは修復されるのだろうか。
完全に色が抜けて写真が消えてしまったら、いよいよ矢部線の資料がなくなってしまうだろう。
鉄道記念公園には踏切と線路と駅舎が遺されている。
これらはモニュメントであり、当時のまま遺されているわけではないようだ。
駅舎も外観が新しく、中はただの倉庫になっている。
こんな中途半端な倉庫を作るくらいなら、駅舎をそのまま残してくれたら良かったのだが…。
ちなみに2003年、2005年あたりだと公園内に駅のホームが遺っていたようである。
2019年現在ホームは遺っていない。
ぜひホームにお目にかかりたかった。
というか、福岡県志免町の志免鉄道記念公園にはホームや線路を活かした遊具やベンチがあるのだから、筑後福島駅も志免鉄道記念公園のような場所にすればよかったのに。
鉄道記念公園は幼稚園や小学校の遠足コースに含まれており、休日、平日問わず子どもたちで賑わっている。
後何十年もすれば矢部線のことを知らない世代だらけになってしまう。
その時この公園はなんと呼ばれるのだろう。もしかしたら鉄道記念公園という名前すら忘却されてしまうのかもしれない。
K.Takeshita