ぼんぼり祭りを考える:主役に抜擢されるべき八女の「箱雛」、景観破壊度抜群のピンクののぼりに観光客から「がっかり」との声、リピーターを生むために必要なこと

八女市の白壁の町並みで平成9年より毎年行われるぼんぼり祭り、全国有数のひな人形の産地として毎年2月中旬から3月下旬にかけて行われている。福岡県は雛人形の生産量が埼玉県に次いで全国で2位、産業として盛んである。

今現在は量産品、産業としての雛人形ではあるが、過去には八女には独自の雛人形があった。江戸時代から昭和の時代にかけて、仏壇屋や大工の副業として作り続けられてきたのが「箱雛」だ。仏壇の生産が盛んだったこともあり、衣装は仏具の生地、さらには八女和紙を使い、飾りの小物は今では国の伝統工芸品の指定を受けている八女提灯の金具を利用し、仏壇同様に「人形が箱に入っている」状態で飾るように作られていた。皮肉なことに、産業として八女で雛人形が量産されるようになると、八女の個性であった本来の「箱雛」はその姿を消してしまった。 今では量産品の雛人形を箱に収めて箱雛とはしているが、その姿は本来のそれからは遠いものとなってしまった。

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近隣の柳川市はさげもん、吉野町はおきあげ雛、臼杵の紙雛と九州は独特の雛人形が多い中で、八女は本来であれば「箱雛」を前面に押し出すべきが、量産品の雛人形がその主役となってしまっている。産業が量産品中心であり、そのシェアが全国2位だから始まった祭りであり、「箱雛」は過去の歴史の一端でしかない、というようにさえ見えてしまい、観光客にも独自性である「箱雛」の良さが伝わっていない。何よりも昔ながらの箱雛を今では作る職人さえいないという現状が、職人の街としては寂しい限りだ。作りたいという職人はいるのだが・・・

せっかくの祭り、訪れた観光客がここでしか味わえないお雛様を体験してもらうべきであり、その主役は「箱雛」であるべきだ。白壁通り沿いの民家が自宅の雛人形を通りの窓越しに展示し、また横町町屋交流館でも雛人形の展示を行っているが、全体数からすれば箱雛はごく僅かであり、どこもその説明に乏しいのが現状だ。横町町屋交流館では箱雛は飾ってあるが、まるで人形供養のごとく大量に並べられた同じ顔の量産品がメインステージを陣取ってしまい、すっかりわき役となってしまっている。毎年のポスターでもその箱雛が全面的にフィーチャーされることはなく、地元作家の素晴らしい切り絵で飾られてはいるが、ごくありふれた「雛祭り」のポスターになっているのもとても残念だ。

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が故に没個性的なひな祭り感が漂い、一部イベント日程以外は観光客がまばら、閑散とした光景が例年定番となっている。正直何度も訪れたいというレベルの祭りではなく、彼らがリピーターとなるには程遠いと言わざるを得ない。観光を謳う地域として、明らかにかけた予算に見合った観光客の数は獲得できていないのが現状だ。

また問題視すべき問題点はもう一つある。白壁通りという古い美しい街並みを謳いながら、祭り期間中は派手なピンクののぼりがそこら中にに乱立するのだ。最近ではインスタ映えという言葉が一般化し、SNSなどで写真などをあげることが一般的になっている。しかしこのピンクののぼりのおかげで、せっかく町を訪れた観光客からは「写真映えしなくなる」、「なんでもっと配慮したものにならないのか」、「街並みに合っておらずがっかりした」という声が毎年のように聞かれる。例えば京都では自動販売機ですら街並みに合うように色合いを規制したりするなど、「観光とは人が何を求めてくるのか」、ということにきちんと向き合っている。八女は観光を謳いながらも、その入り口をすでに見落としている残念さが、現状の「地方」レベルなのだろう。無難なパンフレットやポスターにかける予算をかけるくらいならば、それを部分的にカットしてでも、まずは”訪れた人が心地よく感じる景色”、”環境に配慮した色合いとデザイン”ののぼりに切り替えるなど基本的対策が必要だろう。それが街並みを観光の目玉、起爆剤としたい、またすべき町のやるべきことだろう。

そして「箱雛」という伝統をしっかりと掲げ、「ここでしか体感できない雛祭り」という演出をしてこそ、八女の良さが十分に発揮できるのではないだろうか。

H.Moulinette

廃線探訪:居残った看板が駅の証跡 -福岡県八女市上陽町の北川内駅-

みなさんは福岡県筑後地域にかつて矢部線と呼ばれる路線があったことをご存知だろうか。
矢部線は1945年に開通した日本国鉄線の地方路線の一つである。
終戦後日本で初めて開通した路線で、羽犬塚と黒木の間の19.7kmを繋いでいた。
本来は山奥の矢部村まで線路を伸ばす予定だったが、その夢叶わず第1次特定地方交通線に指定され1985年に全線廃止となった。

今回私が訪れたのは福岡県八女市上陽町にある北川内駅跡。
北川内駅は1945年12月26日矢部線開通とともに開業された。
1962年には業務委託駅化。
1971年2月20日には貨物及び荷物の取扱停止、無人駅化し、1985年矢部線廃止とともに廃駅となった。
廃駅時には1面1線の単式ホームで、駅舎はなく待合室があるだけだった。
駅が現役時には駅前広場に「大伴部博麻出身の地」と書かれた標柱が建てられていたようだ。

北川内駅があった場所は、現在八女市地域福祉センターが建っている。
駅の敷地内だったと思われる場所には福祉センター、駐在所、消防団の建物、保健センターが建っており 駅の跡など見つからない!!

歩道と車道の間の段差がそれっぽかったので「まさかこれは駅のホームの名残か!!??」と胸が熱くなったが、文献を調べたらそういうわけでもなさそうで、沸騰仕掛けの胸はすぐに雪で冷まされた。

福祉センター前を走っている道路がかつて矢部線が走っていた場所。
道路は緩やかなカーブを描きつつもまっすぐ走っている。

駅の痕跡は、実はしれっと残っている。
それがこちら。

「…(中略)…駅前駐車場を御利用下さい」と書かれている。
これは北川内駅があった頃の名残。

道路に引いてある斜線部分が看板に書かれている駐車禁止スペース。
あまりにも馴染みすぎてて見落とすこと間違いなしの鉄道史跡。

ちなみに駅前駐車場とは北川内駐在所の隣にある駐車場のこと。
今も地域を見学するためなら無料で駐車できる。

文献やウェブサイトで色々調べていると北川内駅が現役だった頃の駅名標のローマ字表記は「KITAKAWATHI」だったようだ。
「THI」では「ち」でなく「てぃ」である。
「ピザ」じゃなくて「ピッツァ」でしょみたいな感じだろうか。
この駅名標が残ってたらかなり面白かったのに非常に残念。

K.Takeshita

30歳で初体験!? 軟弱男が火炙りになりながら地域のお祭りに参加してみた -筑後市熊野神社の鬼夜 参加体験記-

今年の1月5日、鬼の修正会(通称:鬼夜)が筑後市熊野神社で執り行われた。
実はわたくし、このお祭りに参加してきた。

なぜ筑後市在住でもない私が筑後市の鬼の修正会に参加したのか。
きっかけは遡ること約一ヶ月ほど前。
昨年の12月に筑後市観光協会の知人に呼び出された。
「鬼の修正会というお祭りがありまして」
観光協会の事務所に呼び出された私は知人からいきなり説明を受けた。
事務所に呼ばれて説明を受ける。もうこれは闇金ウシジマくんの世界である。
事務所に呼び出されていきなり説明を切り出されて逃げられるわけがない。
鬼の修正会の話をうんうんと聞き、「出てくれますか?」と言われたら出ない訳にはいかない。

そもそも筑後市の鬼の修正会とはどんなお祭りなのか。
久留米市の大善寺でも鬼夜が行われるが、筑後市の鬼夜と久留米市の鬼夜は由来が異なる。
筑後市の鬼夜は約500年前に始まったとされる火祭りである。
家内安全や無病息災を願うお祭りだが、それだけでなく、大松明の火の粉を浴びれば結婚できるとも言われている。
祭りの参加者は刈又と呼ばれる棒で竹や木を束ねてできた長さ約13メートル、重さ約500kgの大松明を支えて熊野神社の境内を3周する。
昔は神社ゆかりの男たちだけで行われていたが、近年は参加者数が減り大松明が転倒する恐れがあるから、市内外から参加者を募っているのだそうだ。

……。

…え?

大松明転倒??

長さ13メートル、重さ500kgの???

それ、危険やん。

そんなのに僕みたいな気弱な人間が出ていいの??

「大丈夫。大丈夫。あくまでメインは地元の慣れた人だから」
という甘い言葉。
え、ほんとかそれ。だって松明支える人が少ないんでしょぅ??

私が鬼の修正会の話を聞いていると、近くにいた観光協会のスタッフが声をかけてくる。
「何話してるんですか?」
「鬼の修正会の説明をしてるところ」
「ああ、男塾ですね」

男塾!!??

なにそのコードネーム。
男塾だよ。
男塾って聞いたら皆あのマンガ思い出すんだよ!!
俺なんて普段読んでるマンガ「のんのんびより」とか「ゆるキャン△」だよ!
男塾読んだことないよ!!

そんなわけで成り行きで筑後市民でもないのに筑後市の鬼の修正会に参加することになった。

1月5日。祭り当日。
18時に筑後市役所前に集合する。私以外に参加者は3人。計4人。心もとねぇ…。
参加費¥3,000を支払う。この参加費の中には保険代も含まれている。

車で熊野神社まで移動。神社にて無事を祈り、公民館に移動。
大松明担ぐまではまだ時間あるからここでご飯食べててよと案内される。
公民館に入ると、そこにはずらりと並んだ長テーブルと豪勢な料理と酒、酒、酒。
料理は刺し身に寿司に唐揚げにローストビーフ。
酒は大量のビールに日本酒。

す、すげぇ!

目の前の料理に私達4人は唾を飲み込んだ(チョロい)。
すでに長テーブルには地元の人達が座り大宴会状態。
私達は座りビールをお杓し合った。
ちびちびビールを飲みながら軽く自己紹介をし合う。
応募を見て参加したのは一人。後はみんな観光協会からの口説きとか。
ビールを飲んでいると地元の人がやってくる。
「今日はどうもありがとうございます」と頭を下げられたので、私達も頭を下げて「こちらこそよろしくおねがいします」と挨拶をする。
田舎の正月という感じだ。
私達は刺し身をつまみ、ビールをすする。
また地元の人がやってくる。
「本日はどうもありがとうございます。どうぞ酔わない程度に飲んでください」とお酌をされる。
「酔わない程度っていってもビール瓶の数すごいですよ」と冗談を言うと、皆が笑った。

「やっぱり参加者少ないですね」
「そりゃそうですよ。皆この時期ディズニーランドとか行きますって」
「でもディズニーじゃ刺し身や寿司食べれないですよ」
「3000円でこのごちそう食べれないですよね」
「あと、裸にもなれない」
などと冗談を言い合っていたら、唐突に
「祭りの説明するぞー!」
と声が響いた。
どうやら一旦食事を中断してオリエンテーションがあるようだ。
私達は外に出た。
大松明の説明がある。境内を回るという説明がある。
では刈又を持ってみましょうと促される。
刈又とは大松明を持ち上げる棒。棒といってもただの棒ではない。大松明に刺せるよう先端が銛のようになっている。
私達は刈又を持ち上げた。

……持ち上げた。

………持ち……上げ…た。

…どうしよう。持ち上がらない。

「え? なにこれ!? おもっ!!???」
思わず声が出る。
「もっと腰で持ち上げんか!」
背後から声をかけられ、「ぬぁぁああーー」という感じで持ち上げる。
なんとか持ち上がる。
だが、持ち上げた状態を維持し続けるのはキツイ。
「やばっ!」
刈又を地面に落としてしまった。
周りの参加者もビビっていた。
「そんなに重たいと?」
「うん。重たい」
「やばい」
さっきまでの余裕はぶっ飛び、私達は一気に焦り始めた。
再び公民館に戻る。
本番まで食べててよと案内される。
「おい、食っとけ」
「23時までなにも食えねえぞ」
「食ってスタミナつけとかないと」
「おい、酒も飲めって」
「シラフじゃあんなことできん」
私達は遠慮せず飯を流し込み、酒を食らった。
ぞろぞろと若い衆が集結し始める。どうやら市役所の祭り部の若者たちらしい。
皆若い。たぶん私らより若い。今どきの若者。サードウェーブ系男子みたいな人もたくさんいる。休日の趣味はY-3の服を着て馴染みのケバブ屋に行くことですみたいな男子もいる。
皆がプロではない、故に気を抜いたら大惨事になる。

ビールを飲んでいると、経験者の一人が声をかけてきた。
「いやー、初めて参加した時は手の皮がずるむけになりましたもん。お尻の火傷の痕がまだ消えないし」
私達は話の内容よりその経験者の顔を見つめていた。
坊主で、眉毛を剃っている。
坊主で眉を剃った厳つい兄ちゃんである。
そりゃあ中学生のときにいきって眉を剃るやつはいるだろう。
しかし大人になって眉を剃るやつなんてそうそういない。
いるとしたらそいつはまごうことなき強者である。
そして私達の目の前には今、強者がいる。
その強者が手がずるむけになってお尻を火傷して、火傷の痕が治ってないと申しておられる。
勝てない。私らのような軟弱ぽこちん野郎には勝つ見込みがない。
どんだけやべーんだよ、鬼の修正会って。

「ほらー!! 着替えるぞー!!!」
汽笛のような掛け声。
いよいよ始まった。
私達は服を脱ぎ、サラシを巻いた。靴下を脱いで足袋を履いた。
足袋を履くのにもたつく人が何人もいたが、私はスムーズに履けた。高校のときに弓道部に入っててよかったと思った。
着替えた者から外に出る。
寒い。
しかし、そんなことはどうでもいい。
男達が二列に並ぶ。
いつの間にか厳つい男達も集まっていた。どうやらベテランの彼らは別の場所で酒宴を開いていたようだ。
私達一般参加者、市役所の祭り部、ベテラン勢。
「ワッショーイ、ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
私達は熊野神社から離れた場所に移動させられ、火を囲み、ひたすら叫び続けた。
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
喉があっという間に嗄れる。
「飲むか!?」
と言って渡される透明の液体。もちろん酒。清酒。
清酒で喉を潤し、再び叫ぶ。
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
配られる酒。最初の頃は紙コップに入れて飲んでいたが、だんだん面倒くさくなり皆で一升瓶を回し飲みし始める。
酒を飲み、皆で肩を組み火の周りを回った。
気温は低いが、体は熱い。
清酒が、神事のときに捧げられる物だという意味がなんとなくわかった気がした。
21時前。
私達は小松明を持って隊列を組み、熊野神社に向かって走った。
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
熊野神社ではすでに燃え盛る大松明がそそり立っていた。
私達が神社から離れた場所で掛け声を掛け合っている間、熊野神社では神聖なやり方で大松明に火がつけられていたようだ。
いつの間にかものすごい数の観客も集まっていた。
大松明からはぱちっぱちっという竹が弾ける音が聞こえた。
燃え盛る炎が辺りの大気をゆらしていた。
裸の上半身が炎で熱い。肌がピリピリする。
大松明から炎がこぼれ落ちた。火の粉が舞う。肌に火の粉がかかる。チクッとした痛さ。
私達は小松明を地面に下ろし、小松明を囲って円陣を組んで叫び続けた。
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
鐘の音が聞こえた。
私達は刈又を手にした。
オリエンテーションの時は持てなかった刈又を今度は持ち上げることができた。
温まった体と酒で覚醒した脳のおかげだ。
刈又を構える。
「いくぞー!!」
誰かが叫んだ。いや、頭の中で聞こえた幻聴かもしれない。
私達は刈又を構えて大松明に向かった。
まるで戦のようだった。
火を噴く竜に槍で挑んでいる気分だった。
刈又の先を大松明に差し込む。
大松明から炎の塊が落ちてきた。
それが私達の上に降りかかる。
熱い。だが、気にしない。いや、気にならない。
もはや熱いとかそんなのはテンションを上げるための一要素。
全員で大松明を持ち上げた。
「ワッショイ!」
誰かが叫んだ。
「ワッショイ!」
もう一度誰かが叫んだ。
「ワッショイ!」
「ワッショイ!」
今度は誰かが応えた。
「ワッショイ!」
「「「ワッショイ!!」」」
声が大きくなった。
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
声の大きさに合わせて大松明が動き出す。
周りのお客さんから歓声が上がった。
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
私達は大松明を抱えて境内に通じる階段を登った。
が、ここで…。
大松明が刈又からこぼれて地面に落ちてしまった。
逃げる観客。避ける参加者。
石階段に叩きつけられた大松明からは火の粉が溢れた。
「落とすな! 落とすな!」
「持ち上げるぞー!」
どこからともなく声が上がる。
私達は刈又を大松明に突き刺して、再び持ち上げた。
「ワッショイ!」
「「「ワッショイ!!」」」
「まだまだ声だせー!!! 声合わせろーーーー!!!!」
「はい!!!!」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
大松明がゆっくりと動き始める。
気を抜けばまた大松明が落ちる。まるで暴れる竜を皆でひっぱっているようだった。
「お前あっちに回れ!!」
「後ろから刺すなー。前から支えろ」
熟練者の指示が飛び交う。
「おまえらそんなんでいいとやー!!」
「なにしよっとかーーー!!」
観客としてやってきていたOBが私服のまま飛び込んできた。
「こうやって持つとやーーー!!」
彼らは私服のまま刈又を構えて大松明に差し込む。
「ほら、声声!」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「後2周ーーーー!!!!!」
「はい!!!!」
「お前、ポジション変えろーーー」
「刺す場所考えろーーー」
「慌てるな慌てるな」
「絶対落とすなよーー」
「何考えとるとやーーーー」
「声声声ーーーー」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
目の前を舞う火の粉。かすかに聞こえる鐘の音。観客からの励ましの声。
「3周回ったぞーーーーーーーーーー」
「はーーーーーい!!!!!」
「階段降りるぞーーーー。今度は落とすなーーーー」
「はーーーーーーーーーい!!!!!!」
私達は大松明を支えながら一歩一歩階段を降りた。
今度は落とさなかった。
ゴールに辿り着いた。
「落とすぞ!!!」
「せーーーーーーーーーのっ!!!」
私達は一斉に刈又を外した。
大松明が役目を終えたかのように地面に落ちる。
火花が宙を舞った。
「終わったーーー」
「戻るぞ戻るぞーーーー」
私達はそれぞれ知り合いに声をかけたりしながら公民館に戻った。
公民館に戻ると皆トイレに行った。寒いところから暖かいところに戻ると緊張が一気にとけた。
服に着替えて、再び料理を囲む。
参加者同士お疲れ様と称え合いながら酒を飲んだ。
皆喉ががらがらだった。
肌が火の粉で赤くなっていた。
こんなに大声を出したのは何年ぶりだろうか。
高校の体育祭ぶりかもしれない。
地元の人がやってくる。
「おつかれさまです。ありがとうございます」と挨拶された。
私達も「ありがとうございます」とお礼を言った。
聞くところによると、この鬼の修正会は夏くらいから準備をしているらしい。
久留米大善寺の鬼の修正会と比較して筑後市の方が過激なのだとか。
地元の人達は明日の朝7時から片付けらしい。
ほんとに頭が下がる。
参加者同士でビールを注ぎ合いながら「来年も出るんですか?」と互いに訊いた。
「いやぁー、どうですかね」と皆照れを隠しながら答えた。
でも、来年も出たいと思った。
祭りの時に生まれる奇妙な友情と喉が嗄れるほどの発声はおそらく大人になってなかなか味わえるものではないから。

Photo:H.Moulinette
Text:K.Takeshita

久留米探訪 其の壱:日本三大火祭り、正月の夜を炎で染める大善寺玉垂宮の鬼夜

日本には古来より多くの祭りがある。そしてその中でも奇祭と言われるのが火祭り,中でも1600年の歴史を持つ国の重要無形文化財、大善寺玉垂宮の鬼夜は、道祖神祭り(長野)、鞍馬の火祭(京都)、那智の火祭り(和歌山)と並び日本三大火祭りと呼ばれている。そう、本来は三大祭りだったのだが、その歴史と重要性、規模と独自性が甲乙つけがたいがために、今では四大火祭りとなっている。

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その歴史は古く、仁徳天皇五六年(368年)一月七日、藤大臣(玉垂命)が勅命により当地を荒し、人民を苦しめていた賊徒・肥前国水上の桜桃沈輪(ゆすらちんりん)を闇夜に松明を照らして探し出し、首を討ち取り焼却したのが始まりだと言われている。

鬼会と呼ばれる一連の行事は大晦日の夜に始まる。まずは神官が火打石で起こした御神火(鬼火)を護り天下泰平、五穀豊穣、家内安全、災難消除を祈願する。そしてその祭りのクライマックスが、一月七日の夜、闇に包まれた境内で灯された長さ13m、重さ1.2トンの巨大な松明6本を裸の若衆が引き境内を回る鬼夜だ。

一連の神事を行うと、大松明に火が灯され、境内を埋め尽くした観衆からは歓声が上がる。さらにはその大松明に若衆がよじ登り、大松明を縛っている縄を外していく。熱さに耐えながら縄を解くと、境内に集まった多くの観衆から再び歓声が上がる。

©KYism

6本の大松明は両側に陣取った「たいまわし」と呼ばれる裸の若衆が長い刈又(かりまた)と呼ばれる樫棒で支えながら、勇猛に神殿を時計回りで2度回るのだ。火の粉が舞い散り、「オイサッ ホイサッ」と言う掛け声とともに境内を移動するド迫力の大松明は一見の価値あり、その炎にあたると無病息災・家内安全・災難消除・開運招福と言われており、多くの人がその松明について歩くのだ。

一番松明だけは境内を一周した後に惣門をくぐり、社前の川に設けられた汐井場で 火が消され、それにより鬼は「シャグマ(赤熊)」らに護られ禊を済ませて神殿に帰っていくのだ。

新年早々真冬とは思えぬ熱気、松明の熱で汗だくになり、さらには燻製状態までに煙に燻されて祭りを満喫することができるチャンスなどそうあるものではない。これだけ歴史ある貴重な祭りだけに、わざわざ遠方から毎年訪れる人も多いのだ。まだこの祭りを体感したことがなければ、間違いなく損をしている。一見の価値あり、一度は必ず自身で体験すべきだろう。

そして体験と言えば、なんと隣町の筑後市には似たような祭り、熊野神社の鬼の修正会(県の重要無形文化財) が存在している。共通部分は多いのだがその由来は異なり、こちらは大善寺玉垂宮の鬼夜に比べると歴史は浅く、527年前の1492年に始まり、仏に罪を懺悔し無病息災や五穀豊穣を祈る祭りだ。巨大松明も長さは13mで同じながら少し軽量で、重さ500kgとなっている。また裸の若い衆が支えながら境内を3周するのも同じながら、松明を支えるの刈又(かりまた)の形状が少し違う上にしなるために松明を支えるのは容易ではない。また大善寺玉垂宮の鬼夜が賑わうのに対し、人手不足が顕著で昨今は市内外から公募しなければならない状況となっている。

見るだけでは満足しない人にはこちらがおすすめ、火の粉を被りながら祭り自体に参加してみるのがいいだろう。

H.Moulinette

八女伝統工芸館唯一の魅力だった100円で飲めるコーヒーがクソ不味くなった件

あなたが八女に出かけたとしよう。
例えばサイクリング。
例えばオルレ。
出かけ先で楽しい時間を過ごし、帰宅途中小休止も兼ねて最後にちょっとだけ寄り道しようとする。
できれば駐車場が広くてトイレも気兼ねなく使えてお茶なんて飲めたらいいなぁ。
そんな場所を求めてたとする。
そんな場所が実は八女市内に一つだけある。
それは八女伝統工芸館の中のコーヒーメーカーがあるところだ。
ここのコーヒーメーカー、100円入れたら挽きたてのコーヒーが飲める。

いや、待て!
その前に八女伝統工芸館ってなんやねん!?という声が聞こえてきそうだ。
八女伝統工芸館とは八女市内にある箱物である。
建物の中には仏壇や提灯、和紙など八女に昔から伝わる伝統工芸品が展示されている。

はじめて私がここのコーヒーを飲んだのは1年半ほど前。
友人と伝統工芸館を訪れたときだった。
友人は「ここのコーヒー、美味しいんだよ」と言って私にコーヒーを奢ってくれた。
その友人はご飯と味噌汁を作らせたらそれはそれは不味い味噌汁と白飯ができあがる天才で、そんな味音痴の友人が美味いというコーヒーなんてとても信じられなかった。
が、おごってもらった以上飲まない訳にはいかない。
私はおそるおそる口に含んでみた。

ん!

あれ!?

うまいじゃん、これ!!

そう、美味かったのだ。さすがにス○ーバックスとかド○ールには勝てないがコンビニのコーヒーとまともに闘えるくらいは美味い!
かくして私はサイクリングの後に伝統工芸館でコーヒーを飲むことにハマったのだ。

……つい最近までは。

なぜかこのコーヒー、突然不味くなってしまった!!
舌触りは粉っぽく、臭いは薬臭い。

たぶんコーヒーが不味くなったのは、秋に行われる地元のお祭り「あかりとちゃっぽんぽん」よりも後。
お祭りの期間中はコーヒーメーカーが使用中止になるから、ノズルかなにかが循環されなくて味に影響しちゃったんだろうと思う。
ともあれコーヒーの味に落胆した私は伝統工芸館で小休止するのを止めた。
だってコーヒーを飲む以外で伝統工芸館に行く理由がないんだもの。
工芸館内の展示品なんて1回見れば満足なわけでさ。
勤続20年の職員に話を聞くと伝統工芸館が出来たばかりの頃は工芸館の中で八女茶が飲めたそうだ。
今はそのサービス跡形も無いけど。
もったいないことするよね。
伝統工芸館でお茶飲めないと意味ないじゃん。

K.Takeshita

KYismには愛されるべきキャラクターがいる

久留米と八女を移住者目線から語るサイトがいよいよスタートしたが、何か一つ足りない、そう思い構想段階から考えていたのが公認キャラクターだ。サイトを覚えていただくうえでも、さらにはその先いろいろな発展性を考えた時に、それぞれ地域を象徴するキャラクターを作ることは必然だった。様々な伝統や歴史、産業溢れるこの地域の象徴として生まれたのが、くるめちゃんと八女茶人、これからこのサイトの秘かな人気者となっていくだろう。

くるめちゃんはその名の通り久留米出身、藍色の久留米絣の着物風ドレスを着ている現代っ子の女の子だ。髪の色は籃胎漆器に使われる漆の赤、性格は天真爛漫、新しいこと好きで活発、誰にでも好かれる可愛い子だ。

八女茶人は八女を代表する歴史的文化財の石人と特産品の八女茶から生まれたハイブリッドキャラクターだ。存在感抜群だが無口で寡黙、喋らせても口下手なのが玉に瑕だが、お茶目でユニークな表情で愛されるキャラだ。腰には刀、石人の中でも武人であり、これから軽~くすべての事柄をぶった切っていくという心構えの表れだ。

デザインをしたのは京都在住の可児葉月さん、和紙アーティストやイラストレーター、デザイナーとして活躍をしている。なぜ地元の人間ではないのか、それはやはりこのサイトを運営する僕ら同様に客観的にこの地域を見るためには地元の人間ではない人間の視野が必要だったからだ。客観的にこの地域を見て捉えてもらい、そして生まれたのがくるめちゃんと八女茶人の二人(?)のキャラクターだ。

多くの伝統と歴史が積み重ねられてきたこの地域にとっての新しいエッセンスとなるべく誕生した二人の個性的なキャラ、どんどんとその活躍の場を広げていってほしい。もしこれらキャラクターを使いたいという方がいればご一報をいただきたい。

KYism

なぜ今 KYism なのか

KYismで面白おかしく発信していこうってわけ

竹下和輝(以下、竹下) 今iPhoneの位置情報見たら「福島」って表示されてたからびびった。一瞬気づかない内に東北まで来ちゃったのかと思った。

森音広夢(以下、森音) ああ、八女福島の福島ね。

竹下 そうそう。

森音 八女って県名と間違えそうな名前のところ多いよ。うちは東京町(ひがしきょうまち)なんだけど、漢字だけ見ると東京町(とうきょうまち)とも読めるじゃない?

竹下 知らない人が見たら東京と関係がある地域なのかなって勘違いしそうだよね。後さ、すっごい不思議なところがあるんだけどさ。八女伝統工芸館の前にときめきっていう物産館があるでしょ。あそこでiPhoneの位置情報見るとなぜか「ガーナ八女」って表示されるんだよね。

森音 だからFacebookの投稿の位置情報が「ガーナ」になってることあるんだ。

竹下 もうさ、ガーナ八女って意味わかんないよね。アフリカなのかよ八女なのかよどっちかにしてくれよっていう。

森音 ガーナ八女のカタカナと漢字が混ざってるのも笑えるよね。

竹下 すげーパチモン臭がする。

森音 パチモン臭するする。八女が日本認定されなかったみたいだよね。

竹下 冒頭からこんなにかっ飛ばしたこと言っていいのかな。八女と久留米の魅力を発信するサイトを今からやろうとしてるのに、ディスりまくってて。空気読めてない感じかな。

森音 ディスってるわけじゃないから。事実を言ってるだけだから。

竹下 そうだね。事実を申し上げてるだけだもんね。

森音 地元の人には、僕らが移住者視点で書いた各記事を受け止めてもらって次の向上心に繋げて欲しいのよ。

竹下 元々YAME ISM(八女の情報発信サイト)ってやってたんだよね? YAME ISMはどういうきっかけで始めたの?

森音 八女に杉山先生っていらっしゃるんだよね。郷土史家でもあり絵描きでもあるんだけど、その人が地域の資料をものすごい持ってるわけよ。それを一部編纂して欲しいっていう依頼が僕のところへ来たのね。僕もそういう資料って好きだし、後世に伝えていくことってすごい大事だと思ってるから資料を預からせてもらったのよ。で、YAME ISMに地域の歴史とか地元の人が知らないことを載せていくことでちょっとずつ編纂していこうと思ってたわけ。

竹下 で、今はYAME ISMは更新してないよね?

森音 ちょうどYAME ISMのウェブサイト立ち上げて記事更新していこうって時に別の仕事が入ってしまって、忙しくなってしまったのよね。だから、落ち着いたらまた活動続けようってことで、一度ウェブサイトは閉じたのよ。ただなんかやりたいって思ってFacebookページだけは残したのよ

竹下 なんかやりたいっていうやる気はどこから?

森音 もったいないっていう気持ちかな。例えば揚羽空右衛門っていう八女出身の強い力士がいたんだよね。江戸時代相撲全盛期に雷電為衛門らと相撲を取り、歴史に残る名力士だったんだけど、そういう伝説的な力士がいたことを地元の人が知らないっていう現状があるのよね。お墓だって今でも普通に地元にあるし、それってすごいもったいないなって思って。

竹下 八女にも久留米にもいいところあるっちゃあるもんね。

森音 そういういいところをちゃんと探せばいいのに、今の地方のPRって無理矢理なにかをいいところに仕立て上げて、それを持ち上げようとするから第三者が見た時に違和感のあるものができあがる。

竹下 よくあるやつだとさ、「私の町にはきれいな自然が溢れてます」っていうやつ。

森音 そうそう。それって滑ってるよね。「いや、きれいな自然なんてどこにでもあるやん!」みたいな。

竹下 基本的に日本全国どこにでもきれいな山と水はあるからね。

森音 地元にいる人達が地元の良さに気づいてないからそうなるんだと思う。八女の人に「八女の良いところなんですか?」って訊いたら「ない!」って答えられたことがある。

竹下 いや、あるでしょ。

森音 うん。山のように溢れてる。

竹下 伝統工芸品とか八女茶とかいっぱいあるじゃん。もっとそういうのアピールすればいいのに。

森音 地元の人にとって当たり前過ぎて、それが魅力って気づいてないんだと思う。久留米の城島ってあるじゃない?

竹下 日本酒で有名な?

森音 うん。でも城島って他所ではあまり知られてないんだよ。

竹下 え!? 城島が!!?

森音 よっぽど日本酒が好きな人なら知ってるけど。

竹下 なんで知られてないんだろ。

森音 やっぱり他所の人からすると九州は焼酎文化ってイメージなんだよね。日本酒では東の灘、西の城島って言われるくらい、城島も名高い酒どころなんだけどね。

竹下 知られてないってもったいないね。すげー日本酒マニアじゃなくてもさ、ちょっと日本酒が好きですっていう女性とかにもっと知られてほしいよね。

森音 今の地方の魅力発信って内輪向けになってるんだよね。内輪向けにPRしても地元の人が「頑張ってるねー」って言ってくれるだけで終わる。地元の良さって外に出さないと。

竹下 外に出さないと残っていかないものってあるもんね。

森音 そう。地域の大切なものがなくなってから文化財保護みたいなことしてもしょうがないからね。外への発信をKYsimで面白おかしく発信していこうってわけ。

竹下 決してKY(空気読めない)ではないと。これで久留米、八女に「なんだこりゃ」と思って人が来てくれるようになったらいいね。

森音 うん。KY(久留米&八女)で。

竹下 じゃ、KYism、始動で!

森音 これからKYismをよろしくお願いします。