筑後市の謎ポエムが早朝のスタバで読むのに丁度いい件

インスタグラムというツールを私が最初に触ったのは9年ぐらい前だったろうか。
ツールと表現したが、そう、インスタグラムは最初はツールだった。
なんか写真をレトロ風(しかも完成度が高い)に加工してくれるアプリがあるでー(まあ、登録が必要だけどな)という扱いだった。
それが今はインスタグラムはSNSだ。
若い子が使っていたかと思えばおっさんやおばさんも使うようになり、企業や団体も使うようになった。
インスタグラムが普及し始めた当初、ナショナルジオグラフィックで「インスタグラムは写真なのか?」という議論を扱っていたが、それはもうはるか昔の話で、インスタグラムが写真かどうか本気で議論する人間は今はいない時代になってしまった。

福岡県南部に位置する筑後市もインスタグラムアカウントを持っている。
アカウント名は「恋のくに筑後市インスタっ隊」である。
もう田舎臭いネーミングセンスが漂っている。
地方の草野球チームの応援団みたいなネーミングである。
隊員は試合の後、缶詰居酒屋で打ち上げしてそうな雰囲気だ。

私は付き合いもありこのアカウントをフォローしてみた。
どこかのタイミングでフォロー外してもいいかもと思っていたが、このアカウントがなかなかおもしろい投稿をするのだ。
よくある広告会社を真似したけど足元にも及んでない地方の投稿とは一線を画す。
どこどこで花が咲いたとかどこどこの店の食べ物が美味しいとかそういう地元目線のコアな情報が投稿される。
この筑後市のアカウント、投稿される情報が魅力的なのは当たり前として、さらに魅力的な、いや魅力がある。
それが、謎ポエムである!!

例えば

まだ新し目のカフェで一息。向かいに座る相手がいたらな。

とか

都会っぽさもあれば、田舎っぽさもある筑後市。フワフワ、あなたのもとへ飛んでいきたい♪

とかである。
まるで高校生活にうまく溶け込めない文学系の美少女とか世界の命運を一人で背負うことになった世界系ラノベのヒロインが書いたような文章だ。
これからは早朝のスタバで村上春樹を読むのはダサい。
読むべきはこの「恋のくに筑後市インスタっ隊」のポエムである。

昨日のお昼はあさひや。
*
私は単品で、彼はセット。
*
餃子いいなぁっておねだり
*
一つもらえた(*^^*)
*
*
*
*

なんてことはないラーメン屋での一場面。
「私は単品で、彼はセット。」の下りがなにか意味深げに聞こえてしまう。

筑後ビレッジに週2回くらい来てくれる可愛い移動カフェ『ハナウタカフェ』。
「寒いね」って2人で言いながら、あったかコーヒー飲んじゃお♪

なんだこの「寒いね」って言い合える相手とハナウタカフェに行きたくなる感じはっ!
ここで登場するハナウタカフェとは筑後地域を中心にコーヒーやソーダなどを販売している移動式のカフェだ。

バレンタイン前にひいたピンク色の恋みくじは大吉♪
背中を押されて告白した昨日、結果はヒミツね!(*´艸`)

ちょいちょいちょーい!!
なーに一人でうるおい手に入れちゃってんのよ―!!と茶化したくなる投稿だ。
見てるこっちまで乙女になってくる不思議文章。

「今日はジャングルに行こうよ」
「いいね♪俺、黒のドラキュラにしようかな」
そんな予定を話して朝からウキウキ。

ここでジャングルと黒のドラキュラが登場。
まるで異世界転生もののような単語の羅列だが、これは筑後市にあるジャングルスープカレー屋の黒のドラキュラというメニューについて語っている。
このジャングルスープカレーは堀江貴文氏のホリエモン万博にも出店した。

雨の音を
聞きながら
紅茶を
八女茶を
鉱泉焼で
いただきながら
ゆっくりとした
幸せな
時間を
楽しみながら
過ごせる場所。

まるで雨音のような文章。
「紅茶を 八女茶を」とお茶を二つ登場させることで登場人物が二人であることを匂わす巧みな技術。

『恋してる?』マスターが聞いた。
『……してますよっ』
『じゃあ、君にはこのキッシュを。』
『…恋が叶いそうですね』

くぅーーーーーーーーーう!
こんなマスターほんとに世の中にいるのかい。
思わず川平慈英になってしまった。

嫌いになろうとした。
失敗した。
やっぱり大好きだった。
このままで
良いですか。

これはピザ屋を紹介する投稿。
もはやピザ屋関係ない。
ピザ出てこない。

くーっ!
無性にラーメンが食べたいよぅ!
そんな時、
はいはい、白龍軒ね
って分かってくれる、
付き合ってくれる、
あなたで、
良かった。

くぅーーーーーーーーーう!(本日2回目)
いやいや、やっぱりこのインスタアカウント技術が巧い。
なんせ平仮名が多い文章の中「白龍軒」という漢字を引き立たせることに成功している。
ちなみにこういったポエムは早朝の5時に投稿されている。
あさっぱらの5時にこんな文章を投稿するのは「耳をすませば」の雫のような頑張り屋さんに違いないっっ!!

出逢って
数年経つけど
まだ
あなたの笑顔に見惚れてしまうし
まだ
あなたの声にドキドキしてしまうのよ。
また
いつものウッディで
ご飯を食べながら。

なんだこの卒業式間近の少女の心みたいな文章は。
しかもウッディの破壊力やばい。
ウッディってトイ・ストーリーですか!?
それともひぐらしのなく頃にですか!!??
それとも彼氏の名前がウッディさんなんですかーーーー!!!???
※筑後市のカフェレストランの名前です。

ありがとう
さよなら。
遠くに旅立っても、
『さざなみ』で
みんなでモツ鍋食べた
あの時間のことは
きっと忘れない。

エヴァンゲリオンの最終回を連想させる始まり。
「旅立ち」と「さざなみ」という単語からはリチャード・カーティス監督の「アバウト・タイム」という映画で主人公が父と一緒に浜辺を歩いているシーンが自然と浮かぶ。
「あのイーハトーヴォのすきとおった風…」のような髪と頬を優しく撫でるこの文章にいきなり「モツ鍋」という単語が登場する!
この破壊力はヤバい!!
美少女アイドル声優が「好きな食べ物はモツ鍋です」と言うくらいインパクトがある。
だけど、なに、このモツ鍋が食べたくなる投稿は(トクン)

とまあこんな感じでポエムが投稿されているのだ。
調べたところこのアカウントが始まってしばらくはポエムが投稿されていなかった。
どうやら2017年4月頃からポエムが始まっている。
ということは、2017年4月から筑後市観光協会に新海誠的美少女が就職したのだと思われる。
そんな筑後市観光協会は筑後市の観光のことで困ったら親身に応えてくれる団体なので、ぜひ困ったことがあれば下記の公式ホームページよりお問合せ願いたい。

一般社団法人筑後市観光協会
恋のくに筑後市インスタっ隊( @koinokuni_chikugo_instattai )

K.Takeshita

知られざる久留米ブランド:クワガタマニアには当たり前!オオクワガタの一大ブランド「久留米血統」、そしてそれが生み出す夏の夜の不審者・・・

産地ビジネス、地域ブランディングという言葉が多く飛び交う昨今、久留米というだけですぐに思い起こされるものは久米絣など、地域に根付いた伝統産業ものが多いだろう。しかしマニアックながら、全国トップクラスのブランドとして久留米は”あるジャンル”で有名なのだ。おそらく地元の人は全く知らない世界、しかしきちんとしたマーケットが確立しているそのジャンルとはずばり「虫」、それも男子の憧れの「オオクワガタ」だ。

クワガタと言えば、ミヤマクワガタ、ノコギリクワガタ、コクワガタ、ヒラタクワガタなど様々な種類が日本はいるが、その中で最大、最高峰と呼ばれ、黒いダイヤと言われているのがオオクワガタだ。

オオクワガタはその全長、あごの大きさのみならず、その地域や希少性やブリーダーにより生み出された混血(ブランド)などで付加価値がつく。大きいものには過去には最高で100万円以上の価格がついたこともあり、実質的な取引価格は場合によっては高級車並みになることさえあると言われる。

©KYism

ではなぜオオクワガタがそこまで特別なのか、それは繁殖に極めて限定された環境を好み、その環境の激減から自然界での個体数は極めて少なくなっていることだ。乱獲や丘陵地の開発や森林伐採などにより野生個体の生息が危ぶまれており、2007年には準絶滅危惧種から絶滅危惧II類へと格上げされた。その為生息地は秘密とされることも多く、自然界で捕獲された個体は「ワイルド」と呼ばれ珍重される。ワイルドの個体では8㎝(80ミリ)程まで育つことはほぼ皆無だが、昨今では大きな個体同士をかけ合わせていき、9㎝(90ミリ)超えの個体も生み出されている。筆者が過去に自然でとらえた最大の個体は星野村での77ミリ、実はこのサイズ、公式にワイルド(野生)の最大として昆虫関連最大の出版社である「むし社」が公認している76.6ミリより大きかったのだ。市場価格は・・・予想もできない金額になりうる可能性があった・・・。

クワガタは幼虫時代のエサの量と質でその大きさが決まり、またオオクワガタは幼虫で最長で3年ほど過ごすことからも、気温や気候、天候など自然環境の変化に大きく左右される。そして成虫になると最長で7年ほども生きることがあるのだ。他のクワガタの多くが、幼虫1年、成虫1年というライフサイクルであることを考えれば、最長で10年にも及ぶライフサイクルはかなり特殊ともいえるだろう。

今現在一般的にはブリーダーが人工交配したものを入手することが多いのにゃんこだが、そんなディープなクワガタマーケットには5大産地というものがある。その中でも久留米血統のオオクワガタというのは最も有名なブランドの一つとなっている。クワガタには産地により体の幅やあごの大きさ、あごの長さや形状に違いが出る。久留米産は体の全長が長いものが多く、あごは比較的スリムなものとなっている。クワガタの世界に足を踏み入れたものであれば、一度は必ず通る、と言われるほどにメジャーなブランドであり、虫界のGUCCI(グッチ)とでも言えばわかりやすいだろう。

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久留米血統は筑後川流域のことを指し、ミネラル分豊富な山、土と水に守られた森林があってこそだ。幼虫は朽ちた倒木に寄生したキノコの菌糸を好んで食べるのだが、これも自然が豊かでなければ条件がそろわない。まだまだ自然が豊富だとは言えるが、昨今筆者が把握している範囲でもかなり人の手が入ってしまい、今や久留米産ワイルドは、レア産地となっている。とは言え、筆者が驚いたのは、八女、久留米界隈では街灯の明かりに、なんとオオクワガタが飛んでくることがあるのだ!まさかとは思ったが、一度ならず2度3度と拾ってしまうと、今ではすっかり夏場の夜に街灯を徘徊する”夏の夜の不審者”と化している。

クワガタの価値には大きさや産地の外にも、符節の状態、羽のコンディション、目の色など様々な外観要因も加わる。しかし昨今は近親交配なども進んだことで、外観が不完全の個体もよく見かける。産地での乱獲が進み、個体数が激減したことで、ブリードが一般的にはなったが、そこにも他の犬や猫のブリード同様にブリーダーのモラルというものが求められている。ただ人間の環境破壊に対して、ブリードすることが種の存続にもなっているという皮肉もあるのだ。

だがどうあれ久留米血統はオオクワガタの一つの最上級ブランドであり、この地域名を全国区にしていることは間違いない。子供たちにとって夢のオオクワガタは、大人にとっても子供のころのままの夢とロマンを追い続けることができる、果てしないワンダーワールドなのだ。

H.Moulinette

廃線探訪:皆知ってるけど見落とされがちな矢部線史跡-八女伝統工芸館-

皆さんは八女伝統工芸館をご存知だろうか?
福岡県は八女市本町にある八女の伝統工芸品を展示、紹介するための箱物である。
一応観光地なのだが、店内はしょぼく特に広報に費用をかけているわけではないので観光客はおろか地元の人もあまり訪れない。
駐車場だけはやたらでっかいので、周囲の人間からは「あ、なんか広くて便利な駐車場がある!」程度の扱いだ。

実はこの八女伝統工芸館には矢部線の鉄道史跡がごまんと遺されている。
なので、今日はそれら鉄道史跡について紹介していこうと思う。

まずは八女伝統工芸館の外から見ていこう。
八女伝統工芸館の北西に位置する駐車場の側溝に注目したい。

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工のマークがついた杭が遺っている!!
このブログの読者ならもうおわかりだろう。
工のマークがついている杭、それはつまり国鉄の境界杭だ!!
矢部線の路線が走っていた場所で国鉄の境界杭を見つけたら、それは100%矢部線の鉄道史跡だと言っていい。

駐車場の側溝沿いを西に進むと伝統工芸館が管理している花壇がある。
ここでは和紙の原料になる楮が植えられているのだが、なんと花壇の草むらの中にも…、

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境界杭が遺されていたっ!!!

矢部線探訪をしている人のブログやウェブサイトを片っ端から見ているのだが、この駐車場の境界杭に気づいている人は一人もいない
たしかに駐車場の側溝なんて普通は覗かないし、花壇の草むらなんて普通は入らないだろうから気づかないのは当然だろう。
だが、決して覗いて怒られる場所ではないので、これから矢部線探訪をしようと思っている人はぜひチェックしてもらいたい。
国鉄の境界杭は、廃線マニアなら垂涎モノのはずだ。

さて、八女伝統工芸館の中に入ろう。
入り口から入って左手、トイレのすぐ近くに矢部線の資料が展示されている。

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矢部線の車両の写真や運賃表が壁に展示されている。
運賃表に傷や凹みが残っているのが微笑ましい。

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時刻表まで遺っている。
時刻表に書かれている「当駅」とは「筑後福島駅」のこと。
八女伝統工芸館と隣の鉄道記念公園はかつて国鉄矢部線「筑後福島駅」が建っていた場所なのだ。
筑後福島駅は2面3線の駅構造で、単式ホームと島式ホームがそれぞれ1つずつあった。
八女市の代表的な駅だけあって規模は比較的大きく、よく通学のために高校生が利用していたという。
町でちょちょっとインタビューをすれば、50代、60代の人から「お母さんと電車に乗って八女に遊びに来ていた」と思い出を聞くことができる。
今では信じられないが、八女市には昔百貨店の岩田屋があった。
矢部線に乗って岩田屋に遊びに来ていた記憶を有している人は少なからずいるようである。
当時子どもだった人たちも今では立派なおじさん、おばさん。下手すりゃ孫がいるかもしれない。
鉄道の思い出はなかなか感慨深いものだ。

八女伝統工芸館内を西に進むと籠を編んでいるおじさんが見えてくる。
このおじさんの向こう側、民俗資料館と手漉き和紙資料館の間の空間になんと矢部線の線路が遺されている

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ほんの少し錆びつきつつもきれいな形で遺っている線路。
触るもよし舐めるもよしな距離感なのだが、なぜか来客者のほとんどがこの線路に気づかない。
あまりにも平然と遺されているからだろうか。お客さんは廃線や矢部線に興味がないのだろうか。
線路の断面図も見れて素敵な場所なのに、もったいない。

民俗資料館や手漉き和紙資料館の周りに他に鉄道史跡がないか巡ってみたが、それらしい物は見つからなかった。
どうやら工事の際にきれいさっぱり取り除いたようだ。

八女伝統工芸館の東側に行くと業務用のゴミ捨て場がある。
このゴミ捨て場の敷地内にも矢部線の線路が遺されている

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こちらはレールとマクラギと道床がしっかり遺されている。
マクラギが少し欠けているのもテンションがあがる。
惜しいのはなぜ線路の横にゴミ捨て場を作ってしまったのか。
八女市は本気で八女の歴史を大切にするつもりがあるのか。
八女の伝統を継承する施設で、矢部線の隣にゴミ捨て場を設置するなんてなんたる皮肉。片腹大激痛である。

なんもかんも政治が悪い八女伝統工芸館を後にして鉄道記念公園に向かってみよう。
鉄道記念公園の脇には藤棚がずらーっと並んでいる。

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この藤棚、実は矢部線のレールで造られている

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見上げれば見事なまでの建築物。
ずいぶん粋なことをしたもんだと感心する。
だが地元の人はこの藤棚が矢部線のレールで造られている事実を知らない。
どうやら八女の有象無象は自分の土地の歴史に無関心なようである。

藤棚を歩き、鉄道記念公園にたどり着くと看板が見えてくる。

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筑後福島駅の歴史が書かれた看板。ディーゼルカーがいつ登場したのかまで書かれた丁寧っぷり。
蒸気機関車の写真まで遺されている。
長年日光にさらされて看板の写真が色あせているが、今後これは修復されるのだろうか。
完全に色が抜けて写真が消えてしまったら、いよいよ矢部線の資料がなくなってしまうだろう。

鉄道記念公園には踏切と線路と駅舎が遺されている。

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これらはモニュメントであり、当時のまま遺されているわけではないようだ。
駅舎も外観が新しく、中はただの倉庫になっている。
こんな中途半端な倉庫を作るくらいなら、駅舎をそのまま残してくれたら良かったのだが…。
ちなみに2003年2005年あたりだと公園内に駅のホームが遺っていたようである。
2019年現在ホームは遺っていない。
ぜひホームにお目にかかりたかった。
というか、福岡県志免町の志免鉄道記念公園にはホームや線路を活かした遊具やベンチがあるのだから、筑後福島駅も志免鉄道記念公園のような場所にすればよかったのに。

鉄道記念公園は幼稚園や小学校の遠足コースに含まれており、休日、平日問わず子どもたちで賑わっている。
後何十年もすれば矢部線のことを知らない世代だらけになってしまう。
その時この公園はなんと呼ばれるのだろう。もしかしたら鉄道記念公園という名前すら忘却されてしまうのかもしれない。

 

K.Takeshita

歴史探訪:堺屋(旧木下家住宅)という文化財、乃木希典将軍の印鑑紛失事件とは

重要伝統的建造物群保存地区の八女の白壁通りには古い建物が多く立ち並ぶ。文化財指定されているものも多いが、その中でも際立った存在なのが堺屋(旧木下家住宅)だろう。江戸時代からの酒造業を営んでいた一族の邸宅であり、建物は贅沢の限りを尽くした素晴らしい建物だ。

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そんな堺屋の離れ屋敷のつくりは豪華絢爛だ。屋久杉の一枚板の欄間、黒柿の床柱、紫檀の床框、さらには欄間、釘隠し、天井などどこを見ても当時の繁栄を感じさせる。また採光用の彫りガラス、陶器のトイレなどを含め、その時代時代の最先端と、伝統的技法、西洋的技法などが組み合わされ、建築物として見ごたえがある。

しかし今現在当時の姿を残しているのは来賓客を宿泊させたりしていた離れ座敷の部分だけだ。八女市に寄贈され、その後改築されこの部分だけが残されたのだ。堺屋のある東京町(ひがしきょうまち)の人たちは、「なぜ改築してしまったのか・・・。」と今になって嘆くが後の祭りだ。実は明治時代に建てられた一号倉庫、三号倉庫も八女市の文化財ではあるが、こちらは見どころもなく、ほとんど訪れる人もなく、ほとんどの人は離れ座敷だけを見て帰ってしまう。あまりにも説明も何もなくただ立っている一号倉庫、三号倉庫はもはやただの物置にしか見えない。

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そんな離れ屋敷には面白い逸話がある。明治19年4月15日と16日に、日露戦争の英雄でもある乃木希典(当時は熊本第六師団第十一旅団長)はこの堺屋に宿泊したのだ。乃木希典と言ってもピンとこない人が多いかもしれないが、最近で言えば乃木坂46の乃木坂は彼に所縁があるといえばわかるかもしれない。

乃木希典はこの堺屋宿泊時に印鑑を紛失してしまったのだ。そのことは本人の日記にも残されており、「印鑑紛失」と記されている。そして時は立ち、昭和14年になり、木下家が先代の遺品を整理していた際に、「乃木大将の印、明治17,8年ころの宿泊」という書付と共に印鑑が出てきたのだ。そしてその印鑑はそのまま下関の乃木神社に寄贈されたのだ。乃木の殉死後27年たって、その印鑑は再び表舞台に出てきたのだ。

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大事な印鑑をなくした乃木希典は、その後新たな印鑑を発注したが、気に入らず作り直しを命じている。今のようにシャチハタや出来合いの印鑑がなかった時代、全ては手彫りの一品物、お気に入りに変わるものはそう簡単には作ることができないのだ。ましてやそれが自分の名前を印すものであれば、なおさらのことだろう。

ここでは訪れるものが、乃木将軍が泊まった頃よりも静かな時間を満喫することができる。皮肉なことではあるが、当時に比べ賑わいがを失われたことで、ゆったりと流れる時間と歴史満喫することができる。ただ本来開館時間は5時までなのだが、あまりにも人が来ないこと、地元の方が管理している為か、人がいても夕方4時過ぎには雨戸を閉めたりして見れなくなってしまうのは残念だ。一応声掛けはしてくれるのだが、ぎりぎりの時間帯に見に来た人はおそらく中を見ることはできないだろう。観光地としては致命的な田舎あるあるだ。

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また堺屋の管理棟でもあるのだが、白壁通りに面した場所はもともとカフェがあり、それが蕎麦屋になったのだが、もう長らく使われていない。最高のロケーションでもあり、ここを地元の工芸品の展示などに使えれば人の導線ができることもあり、できれば使わせてもらえないだろうかという相談を何度も持ち掛けているのだが、「使う予定があるから」と断られてからはや2年以上がたっている。宝の持ち腐れ、使えるツールの未使用は単なる無駄でしかない。

素晴らしい文化財、見ごたえのある物件だが有効活用できているとは言い難い。しかしそこには歴史があり、一見の価値がある。

H.Moulinette

創業51年のケーキ屋さん御座船本舗必勝堂が閉店!?今だからこそ必勝堂のたぬきケーキについて語ろうと思う

福岡県は久留米市十二軒屋の交差点にあるケーキ屋さん、必勝堂御座船本舗十二軒屋店。
このお店が今年の4月末日を持って閉店した。

私がこのお店に行ったのは昨年のこと。
十二軒屋という交差点のただ中にあるお店なので目につくことは多かった。
ただ駐車場が不便なのでなかなかお店の中に入ることはなかった。
それが、ある時、お店の外からそっと中を覗いた時にたぬきケーキがあるのを見つけた。

たぬきケーキ。

この存在を知らない人は多いだろう。
私も東京でこの存在を知った。

それは東京の文学フリマで「まつもとよしふみ氏」が発行しているzine「たぬきケーキめぐり」に出会ったときだ。
zineの作者まつもとよしふみ氏は「たぬきケーキのあるとこめぐり」というブログを連載している。
そこには全国のたぬきケーキの情報が載っている。
文学フリマで販売されていた「たぬきケーキめぐり」というzineは、いわばブログのペーパー版である。

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たぬきケーキは、たぬきを模したケーキのことで、多くはバタークリームとスポンジとチョコレートでできている。たぬきケーキの発祥は、詳しくわかっていないが、昭和30年代辺りに日本のどこかで生まれたらしい。高度経済成長期、たぬきケーキは町のケーキ屋さんからケーキ屋さんに広まり、愛らしい見た目のたぬきケーキは町のケーキ屋のアイドル的存在になった。
時代が平成に変わったあたりからたぬきケーキを取り巻く状況が変わった。町のケーキ屋さんの代わりにコンビニが台頭し、スイーツが多様化した。コンビニでは流行りのスイーツが気軽に手に入るようになり、町のケーキ屋さんの需要が減り、町のケーキ屋さんのショーケースから時代遅れのお菓子は追い出された。たぬきケーキはこうした時代の変化とともに全国から姿を消していった。
※たぬきケーキの説明はまつもとよしふみ氏のzine「たぬきケーキめぐり」を参考にしています。

とにかく私はこの「たぬきケーキめぐり」という書物にハマったのである。
なんせ文章からにじみ出るたぬきケーキに対する興奮、写真から伝わるたぬきケーキに対する愛が半端ない。

食べてみたい。

私はサラリーマン甘太郎のような気分でたぬきケーキを一口食べてみたいと思った。

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御座船本舗必勝堂に鎮座していたたぬきケーキは「たぬきちゃん」という名前で売られていた。
もはや鼻なのか口なのかわからない、たぬきちゃんの顔の白い部分。ドラえもんの顔の髭が生えている部分みたいだ。
同じく鼻なのか口なのか判別つかないくりんっ!と尖った突起物も愛らしい。
たぬきちゃんの耳を象っているチョコレートの部分。チョコレートの円柱は、もはや耳ではなく角だ。
この角のせいでたぬきちゃんは狸ではなく神聖な生き物のようにも見える。
おそらくたぬきちゃんを擬人化した際には「ひぐらしのなく頃に」の羽入ちゃんのようになるはずだ。
そして注目するべきはたぬきちゃんの目だ!
今日日黒いきれいな光沢のチョコレートはいくらでもあるはずなのに、おばけのホーリーの体色のような非光沢のチョコレート。
人の作りしものであることを証明するかのような焦点のあってない瞳。

素晴らしい。
可愛い。
この素晴らしいたぬきちゃんに祝福を!

感動するべきは、食べた時の食感だ。
舌の上に広がるしっとりしたケーキの食感。
口の中に広がり鼻道にまで立ち上るバターの香り。
そして、この地球上におそらく嫌いな人はあまりいないであろうチョコレートの甘み。

私が子どもの頃、近所にパン屋があった。
そこのパン屋ではトトロとかアンパンマンとかピカチュウとか人気のキャラを模した菓子パンが売っていたが、正直言ってあまり美味しくなかった。
食感はぱさぱさで、油はべちょべちょだった。
まだ今ほどパン屋ブームとかカフェブームがなかった頃の話だ。
キャラクターを模した食べ物といえば、そういうイメージしかなかったから、たぬきちゃんを食べた時の感動が人一倍大きかったのだ。

ところで、私がこのたぬきケーキいや、たぬきちゃんを買った時にお店の女将さんから「もうすぐお店を閉めるのよ」と聞いていた。
まあ、理由はよくある後継者がいないからだ。
こんなご時世にお菓子屋を継ぐのは大変なことだろう。
仕方がない。
創業51年の久留米の銘菓店は平成中に幕を閉じ、時代は令和に移り変わった。
時代と共にまた一つたぬきケーキが失われた。
これからたぬきケーキはどうなっていくのだろう。

参考サイト
たぬきケーキのあるとこめぐり / 全国たぬきケーキ生息マップ

 

K.Takeshita

「八女茶?」勝手に全国区だと思っているが知名度低し、日本一なのに知名度が低いという落とし穴、貧相なPRの改善で目指すべきは世界の「HIGH-END GREEN TEA」

京都、静岡、狭山、とお茶所やお茶所のそばで育った筆者のようなお茶好きにとっては八女はお茶の産地という認識はあった。しかし東京にいても八女茶という存在は「一つの産地」に過ぎず、そこで作られているお茶が日本一という認識はなかった。今八女に来て、自らも茶畑を預かり茶を育て、改めてその良さを認識しているが、そこで感じたのは地元が大きな勘違いをし続けてきたということだ。

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玉露日本一を取り続ける八女だが、その結果が認知度に直結しているという壮大な勘違いが故に、不十分なPRに留まってきた。その為関東のお茶関係者、茶道関係者の間でなんとか知られている程度の存在であり、一般人に至ってはお茶を嗜好する人の間でも2~3割の認知度という低さだ。何故にそこまで低いのか、それはただ一言「PRが下手くそ」というに限りだろう。何とか国内外でその知名度向上と流通を目指しいろいろと行ってはいるが、そのほとんどが打ち上げ花火、結果につながらない見当はずれなものが極めて多いのだ。海外の茶商やティーサロンなどに取材したところ、例えば知覧茶やかごしま茶は海外でもその名を轟かせており、同じ九州の産地にもかかわらず大きく水をあけられている。グレードで言えば八女は高級茶の玉露に対して一般的な茶葉の知覧・かごしまに完璧なまでに負けているのだ。これは宝の持ち腐れと言わずして他に何と言えるだろう。
それを今頃になって察したのか、福岡県は、何を思ったのか福岡県下で作られたお茶をすべて「八女茶」ブランドで統一するという見当違いのプロモーションを始めている。すでに八女茶の中でも星野地域で作られる星野茶は独自に展開しており、確実に知名度を上げシェアを伸ばしている。さらには笠原も笠原茶として自分たちの地域名のブランド化を目指している。なのになぜに今頃福岡県下生産茶全てを八女茶という解釈にしようとするのだろう。

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よく八女茶のプロモーションを駅や百貨店、イベントなどで行っているのを見聞きするが、どの場所で行おうと、ほぼ100%の確率でPRをしている関係者は法被(はっぴ)を着ている。どこの産地でもやっているような、差別化の工夫もないありきたりな格好で、しかも紙コップで高級茶を飲ませるというパフォーマンスで、果たしてその高級茶の良さを理解してもらえるのだろうか?
例えば最高級のワインの代名詞、ロマネ・コンティを紙コップで出されても、その良さは感じられないだろう。そもそも「料理は器で食わせろ」という通り、人間は心理的に最初に視覚に入った印象が大きくものをいうのだ。ワイン同様にお茶の場合、風味や温度を考えたときに、適切な器があるわけで、玉露を紙コップで出すという愚行は、さながら乞食同様の格好でフォーマルなパーティーに出向くようなものなのだ。中身がよくとも、その格好からくる印象、ファーストインプレッションは最低となるのだ。

そんな貧困なイメージを見せられて、八女茶が「高級茶」という印象を一般の人が持つことができるだろうか?
一期一会を大切にし、おもてなしの心をもってお客様に接するのであれば、それに適した格好とやり方というものがあるだろう。例えばお茶のソムリエの制度があるのだから、ソムリエの格好と所作で、八女にゆかりのある「柿右衛門(現在までに15代続く陶芸の名門、酒井田柿右衛門)」の茶器でお茶を出すぐらいでようやくバランスが取れるというものだ。

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しかしどうあれその品質は日本一というのは紛れもない事実、玉露では常に上位独占、煎茶でも常に上位に入っている。なのであれば国内での適切なPRと共に、目指すべきは目的意識をはっきりと絞ったPRによる「HIGH-END GREEN TEA」という地位だろう。
世界的に緑茶が注目を浴びている中で、そのトップを目指すような仕掛けをこれから行っていく必要があるだろう。海外に出すには農薬問題もあり容易ではないが、狙うべきは世界、是非とも「世界を制した八女茶」という称号を手にしてほしいと思う。

H.Moulinette

廃線探訪:チャリラーの僕が矢部線跡をサイクリングしてみたよ(羽犬塚駅〜八女総合体育館)

今回は自転車に乗って矢部線跡を巡っていきたいと思う。
ちなみにスポーツバイクは嫌われるおっさんの趣味ベスト3に入ってるのだとか。
それに加えて廃線趣味なのだから、このウェブサイトはモテない方向に猪突猛進しているとしか思えない。

それはさておき、このサイクリング、スタート地点は福岡県筑後市にある羽犬塚駅から始まる。

この羽犬塚駅、かつては国鉄矢部線の駅だった。
そのため羽犬塚駅には現在も旧羽犬塚駅跡が残っているのだ。

それは改札口入ってすぐの駅のホーム。
このホームを筑後船小屋駅方面にずっと歩いていくとフェンスにたどり着く。

このフェンスの奥に見えるホームが旧羽犬塚駅のホーム跡だ。

こんなフェンス簡単に乗り越えることができるが、一応僕も三十路。
勝手なことしては駅員さんに怒られそうなので、フェンス越しにホームを眺めるだけにする。

 

改札口から駅を出て鹿児島本線沿いに筑後船小屋方面に進んでいくと、橋の跡が見れる。

花田橋のとなりにひっそりと残る橋台。ここに昔矢部線の線路が走っていた。
2003年の段階ではこの花田橋近辺には矢部線の線路が走っていた跡がくっきりと残っていたようだ。
具体的に説明すると、草むらの中に線路跡が白くくっきりと残っていた
2019年現在、線路跡を確認することはできなくなっている。残念。

旧ホーム横のアスファルト部分が、矢部線の線路が走っていた所。現在ここは立入禁止。この空間は今後どのように活用するのだろう。

 

さらに鹿児島本線沿いに南下していく。
すると、和泉踏切が見えてくる。

この踏切のアスファルト部分には亀裂が入っている。
矢部線のレールを剥がさずにアスファルトで埋めたと思われる。
このアスファルトを剥がせば中から線路が出てくるのだろうか。
だとしたら、剥がしてみたい。
まさに廃線野郎たちのためのタイムカプセル。

和泉踏切の足元にも注意されたし。

しれっと境界杭が残されている。
この「工」と書かれた境界杭は旧国鉄の境界杭なのである。
どうやら殖産興業を推進するために設置された工部省の「工」を意味するマークのようだ。
工部省は造船、鉱山、製鉄、そして鉄道などの事業を管轄していた。
なぜ境界杭に「工」というマークが採用されたかというと、工部省の「工」と鉄道のレールの断面図が「工」みたいな形をしているから。
なかなか明治政府は粋なことを考える。

JRになってからの境界杭はこのJRというマークが入っている。旧国鉄を追っている方々は区別されたし。

 

さらに南下すると道がカーブを描き始める。

このカーブを進んだところに桜の木がある。
この桜の木の根元に側溝があり、その側溝にはなんと…、

「工」のマークの境界杭が!
こんなところにも矢部線の史跡があった。

 

道沿いにひたすらペダルを漕ぐ。
畑の中をのびる弧を描いた道。

この道が矢部線跡。
道の脇の草むらを見ると…、

「工」のマークの境界杭が!!

矢部線に興味を持たなければ決して見向きもしなかっただろうコンクリートの小さな鉄道史跡。
畑を潰して住宅を建ててる土地がちらほら見られたが、これらの境界杭もいつか撤去される日が来るのだろうか。
そう思うと淋しい、惜しい。
ちなみにこの辺りの土地の衛星写真をGoogle Mapとか地理院地図で見ると畑の中をすらっと曲線を描いた道(矢部線跡)が走っているのを見ることができる。
いかにも昔線路が走ってましたよーと言わんばかりのくっきりした曲線の道路は画的な気持ちよさがある。
廃線マニアはぜひ閲覧されたし。

ペダルを漕いで道なりに進む。

野町北の信号を通り過ぎ、さらに道なりに進む。
この信号の先が花宗駅跡だ(今はただの道路になっている)。
花宗駅は一面一線の単式ホームで、駅舎もない無人駅だった。

 

ここからさらに道沿いに進む。

八女インター南の信号を通り過ぎ、さらに道なりに。

すると九州自動車道(鵜の池橋)にたどり着く。

この橋に関してはfukupediaというサイトで面白い考察をしている。
橋についている黒い汚れは、矢部線のディーゼル車の排煙による煤ではないかという考察。
かなり面白い着眼点だと思った。
ただ、僕がサイクリングしたこの日は工事中で黒い汚れを確認できず。

 

さらに八女方面に進むと鵜池団地という市営の団地が見えてくる。
この辺りがかつて鵜池駅が建っていた場所。
単式ホーム一面一線、矢部線開通とともに開業した駅で開業当初は木造の駅舎があったが、1962年に駅舎は撤去され無人駅となった。開業当初は開業記念としてホームに桜の木が植樹されたらしい。

現在県道96号から鵜池団地に入るための道路は、かつて鵜池駅に向かうための道路だった。

 

鵜池団地のすぐ隣にはレンガ造りの建物がある。

これは、農業用倉庫(現在の使用状況は不明)。
建物の趣きはかなり好み。

 

道沿いに自転車を進めると住宅街が見えてくる。
JAふくおか八女の看板手前のこの辺り。

この辺りに蒲原駅があったらしい。
駅構造は単式ホーム一面一線。屋根とベンチがあるだけの小さな駅だった。
道路脇などを色々観察したが、駅跡らしき痕跡はどこにもない。
きれいさっぱり史跡が取り除かれている。

蒲原駅跡を通り過ぎると八女伝統工芸館と八女福島のトンネル藤が見えてくる。

八女伝統工芸館と鉄道記念公園は矢部線マニアなら絶対訪れるべき場所。
矢部線を扱ったサイトなら必ず取り上げられる場所だ。
なぜならこの場所はかつて筑後福島駅だった場所で、現在も鉄道史跡がしっかりと遺されているから。
だが、この場所についてテキストを書き始めたらそれこそ長文駄文になってしまうので、また別の記事で取り上げることにする。

八女伝統工芸館正面出入口、ドラッグストアのすぐ隣のアパートには思わぬ鉄道史跡が残っている。

『駅前アパート 管理 立花支所』と書かれたものすごく錆びついた看板。
駅前、とはもちろん筑後福島駅のことだ。

 

八女伝統工芸館を通り過ぎて、さらに黒木方面へ進む。
すると八女総合体育館へたどり着く。

八女総合体育館の裏手の道が旧矢部線跡。
この道路の脇の畑に注目すると…、

おなじみ「工」のマークの境界杭がある!!
もう「工」のマークの境界杭を見ると落ち着くようになってしまった。

国道3号線の手前、八島鉄工所の前に今古賀駅があった。
国道の真下をディーゼル車が通るってどんな感じだったんだろうか。
もしかしてSLが通るときもあったんだろうか。
その時の風景は、もう見ることができないのがとても残念。

 

羽犬塚駅から八女総合体育館までの走行時間は約2時間弱。
道中色々探索、撮影しながらのライドだったのでかなり時間がかかってしまった。
そこまで探索しないのなら走行時間は1時間弱だと思われる。

今回のサイクリングはここで終了。
続きはまた今度。

※以下、参考にしたサイト
【八女市&筑後市の旅】旧国鉄矢部線を辿る | fukupedia
廃線探索 矢部線 | 歩鉄の達人
矢部線廃線跡調査 | 失われた鉄路を求めて
国鉄の駅 in 九州 | モノフォトショップ添田カメラ

K.Takeshita

城島酒蔵開き:呑兵衛たちのパラダイス日本酒の聖地で酒蔵開きを楽しむという粋

日本酒好きにとっては、「東の灘、西の城島」というほど久留米市城島地区に集結している酒蔵群は「聖地」なのだ。今年も2月中旬に蔵開きが行われ、飲みくらべや角打ちができる町民の森は”呑兵衛(のんべい) ”たちのパラダイスとなった。

©KYism

いったい城島地区にはどれほどの酒蔵が集まっているのだろう。今年の第25回城島酒蔵開きに参加した酒蔵は8社、杜の蔵、瑞穂錦、萬年亀、比翼鶴、花の露、筑紫の誉、池亀、旭菊、これら各蔵の自慢の酒が、12枚つづりで700円のチケットで飲めるのだ。このチケットには御猪口がついており、これをもって飲みくらべコーナーに向かう。まず普通酒はチケット1枚で一杯、吟醸酒はチケット2枚で一杯、そして大吟醸はチケット3枚で一杯となっている。ここで各蔵の酒を心ゆくまで飲みまくるのだが、それだけで 呑兵衛が満足するはずはない。そこには焼き鳥、たこ焼き、焼き牡蠣など様々な屋台が所狭しと並んでおり、酒を飲みながらそれらを頬張り、あちらこちらで地面に座り談笑している。昼間から老若男女問わず堂々と酒が飲めるのだ。

そして恒例なのが飲みすぎて酒に呑まれた人たちの千鳥足と、BGMのように時折流れる救急車のサイレンだ。飲みすぎは注意だが、それでもこの日ばかりは無礼講、誰もが笑顔で酒を呑み続けるのだ。カメラを向けると誰もが笑顔になり、撮ってくれ!と声をかけてくる陽気な酔っ払いたちがそこら中にあふれていた。

©KYism

甘い日本酒のにおいが漂う会場では、さすがに昼間から酒を公の場で飲むだけあって、夜の歓楽街のような怒号や罵声は聞こえない。代わりに誰もが笑顔で酒を楽しむ姿を見ているだけで、こちらまで楽しい気分になるのだ。酒蔵開き限定酒などもあり、それを目的で訪れる人も多い。公共交通機関に加え、シャトルバスなども運行されており、誰もがテーマパークにでも行った気分でまだ肌寒い冬の陽射しの下でのんびりと流れる時間を楽しむのだ。酒を飲めなくてもとりあえず楽しい雰囲気は開場全域で感じることができる。

それでも日本酒業界にとっては厳しい時代となっている。2017年には城島地区にあった有薫が167年の歴史に幕を閉じた。安い発泡酒やワインなどに押され、日本酒の消費量は右肩下がりだ。何とか打開すべく海外への輸出も進んでいる。事実海外輸出量は右肩上がりで、これからの時代は海外でいかに評価されるかにかかっている。海外、特に米国、香港、シンガポールなどででは「SAKE」として人気も高いのだが、日本国内で普通に目にする普通酒、本醸造酒、吟醸酒、大吟醸酒は海外では見かけることは少なく、純米酒が主流だ。

その理由の一つは酒税法にある。たとえばアメリカの場合、醸造アルコールを添加する普通酒、本醸造酒、吟醸酒、大吟醸酒は混合酒扱いとなり税金が7倍も高いのだ。それに対して純米酒、純米吟醸酒、純米大吟醸酒はビールなどと同じで、税率が低いのだ。その為実質的に純米酒でなければ出荷する意味がないのだ。また”ピュアライス”酒のほうが、ヘルシー志向の海外ではウケるという側面もある。

©KYism

九州は焼酎文化が強く、本州の人間にとってはあまり日本酒というイメージはなかった。しかし福岡と長崎に関しては間違いなく日本酒県であり、うまい酒がひしめき合っているのだ。そして城島地区は昔から九州の日本酒の中心であったのだ。そんな歴史と酒をとりあえず楽しめ!これが酒蔵開きを楽しみ尽くすための秘訣だ!まだ行ったことがない人は、是非とも来年こそは足を運んでほしい。

H.Moulinette

廃線探訪:トンネルの跡はホタルの国でした -福岡県八女市上陽町の旧北川内隧道-

さて、廃線探訪の二回目。今回も旧国鉄矢部線跡を巡っていこうと思う。
八女市上陽公民館のすぐ近くに旧北川内トンネルがある。
現役時代はこのトンネルを抜けて黒木方面に列車が走っていた。

このトンネル、探索に行くときは注意しなければならない。
なぜなら春夏秋冬どの季節に行っても藪で覆われている。長袖長ズボンは必須。
地面もぬかるんでいるのでサンダルなんかで行くものじゃあない。
しばらく人が来た形跡はないし、スプレー缶などのゴミは落ちてるし、きちんと手入れされてる風はない。

トンネル内にはフックが残されていた。昔はここに荷物を吊るしていたのだろうか。
こういう画は廃墟好きの心をくすぐる。

トンネルの先は壁で覆われていた。

このトンネル、常に天井から水が落ちている。ここが洞窟ならとっくに鍾乳石や石筍だらけになっていてもおかしくない。
たぶん山の地面に吸い込まれた水がトンネルの天井から滴っているのだと思われる。
トンネルの側に行くと水滴が滴る小気味好い音が聞こえる。
この様子がまるで地底湖みたいで面白い。

トンネル手前の線路はコンクリートで埋められている。
形状から察するに、ここは水槽の役割をしているようである。
そして、この水槽の中の水がはんぱなくきれいなのだ。

マジで透明。透き通ってる。
水の底をよく見ると、生痕が見られる。
この生痕、カワニナによるものだった。
カワニナとは淡水に棲む巻き貝の一種で、ホタルの幼虫の餌なのだ。
つまり、この旧北川内トンネル跡にはホタルの幼虫がいる可能性がある!!

色々とネットで調べた所、北川内トンネル跡はホタルの養殖場になったという記述を見つけた。
個人のブログなので情報の信憑性はわからないが、可能性としてありえなくもない。
以前八女の青◯会議所の人達が「今の子供達は不幸だね。身近にホタルいないんだもん。いつかホタル復活させたいね」と嘆いていたが、いやいや、いるじゃねぇかこんな近くに!!
てか、この旧北川内トンネルの野放し感なんなの。
ホタルの幼虫がいる可能性あるならもっとちゃんと保存しないとだめでしょうに!!
まさかここもかの有名なたちばな体育館のSLみたいに遺したはいいが責任者不在の廃れ放題なのだろうか。

線路が走っていた場所は道路になっている。
トンネル以外は矢部線の痕跡が根こそぎ削り取られていた。

K.Takeshita