久留米のリオのカーニバル!? 久留米そろばん踊りと久留米絣の意外な関係!?

時に、西暦2019年8月4日。
私は今年も久留米そろばん総踊りに参加してきた。

参加する前、私は友人にこう言った。
「今年も久留米そろばん踊りするから、よかったら見に来てよ」
すると、友人はこう答えた。
「そろばん踊りってなに?」
マジか。
同じ筑後地域に住んでいながら知られていないものなのか。

久留米そろばん総踊りとは毎年8月上旬、『水の祭典久留米まつり』の中で行われる催し物だ。
久留米の道路1キロメートルほどを歩行者天国にし、地元企業や団体を中心に県内外から集まった参加者が隊列を組んでそろばん踊りを踊りながら歩く一大イベントである。
踊り方や掛け声に基本の型はあれど、各々所属する企業や団体で微妙にアレンジされているのが面白い。

そろばん総踊りは不思議なお祭りだ。
普通祭りは神様を祀るためにある。
神社の神様を祀るため、土地の神様を祀るために行われた祀りが祭りに変わったのが現代のお祭りである。

久留米そろばん総踊りはちょっと違う。
久留米そろばん総踊りで皆が踊る久留米そろばん踊りという唄は元々は『久留米機織り唄』と呼ばれる新民謡であった。
久留米絣を織る機械の音とそろばんのカチャカチャっという音が似ていることから、唄に合わせてそろばんを振ったことが始まりだと言われている。
そう聞くと、映画『もののけ姫』のたたらのシーンを思い出す。劇中女性たちが唄に合わせてたたらを踏む。
久留米機織り唄も作業のリズムをとるための作業唄として唄われていたのだろうか。
いや、どうやら違うらしい。
久留米機織り唄は作業唄ではなく、明治時代頃から座敷で唄われていたものだとか。
花街や料亭などの酒宴で芸者が唄い、客としてやってきていた商人たちが持っていたそろばんを(久留米絣の機織りの音に見立てて)カチャカチャ振ったのがそろばん踊りの発祥だと言われている。
この唄に伴奏のそろばんを持った踊りがつくのは1972年、まさに第一回「水の祭典久留米まつり」がスタートしたころだったのだ。

そろばん踊りの説明を受けた友人はこう言った。
「阿波おどりみたいなもん?」
うーん。ちょっと違う。
「じゃあ、リオのカーニバルみたいなもん?」
言い得て妙だった。
それぞれの団体が踊りをアレンジして、練習して、本番で踊る。
祭りでは審査もあってコンテンストの結果発表もある。
もちろん本場のリオのカーニバルほど必死なものではないが、たしかに、近いものはあるかもしれない。

K.Takeshita

知られざる久留米ブランド:クワガタマニアには当たり前!オオクワガタの一大ブランド「久留米血統」、そしてそれが生み出す夏の夜の不審者・・・

産地ビジネス、地域ブランディングという言葉が多く飛び交う昨今、久留米というだけですぐに思い起こされるものは久米絣など、地域に根付いた伝統産業ものが多いだろう。しかしマニアックながら、全国トップクラスのブランドとして久留米は”あるジャンル”で有名なのだ。おそらく地元の人は全く知らない世界、しかしきちんとしたマーケットが確立しているそのジャンルとはずばり「虫」、それも男子の憧れの「オオクワガタ」だ。

クワガタと言えば、ミヤマクワガタ、ノコギリクワガタ、コクワガタ、ヒラタクワガタなど様々な種類が日本はいるが、その中で最大、最高峰と呼ばれ、黒いダイヤと言われているのがオオクワガタだ。

オオクワガタはその全長、あごの大きさのみならず、その地域や希少性やブリーダーにより生み出された混血(ブランド)などで付加価値がつく。大きいものには過去には最高で100万円以上の価格がついたこともあり、実質的な取引価格は場合によっては高級車並みになることさえあると言われる。

©KYism

ではなぜオオクワガタがそこまで特別なのか、それは繁殖に極めて限定された環境を好み、その環境の激減から自然界での個体数は極めて少なくなっていることだ。乱獲や丘陵地の開発や森林伐採などにより野生個体の生息が危ぶまれており、2007年には準絶滅危惧種から絶滅危惧II類へと格上げされた。その為生息地は秘密とされることも多く、自然界で捕獲された個体は「ワイルド」と呼ばれ珍重される。ワイルドの個体では8㎝(80ミリ)程まで育つことはほぼ皆無だが、昨今では大きな個体同士をかけ合わせていき、9㎝(90ミリ)超えの個体も生み出されている。筆者が過去に自然でとらえた最大の個体は星野村での77ミリ、実はこのサイズ、公式にワイルド(野生)の最大として昆虫関連最大の出版社である「むし社」が公認している76.6ミリより大きかったのだ。市場価格は・・・予想もできない金額になりうる可能性があった・・・。

クワガタは幼虫時代のエサの量と質でその大きさが決まり、またオオクワガタは幼虫で最長で3年ほど過ごすことからも、気温や気候、天候など自然環境の変化に大きく左右される。そして成虫になると最長で7年ほども生きることがあるのだ。他のクワガタの多くが、幼虫1年、成虫1年というライフサイクルであることを考えれば、最長で10年にも及ぶライフサイクルはかなり特殊ともいえるだろう。

今現在一般的にはブリーダーが人工交配したものを入手することが多いのにゃんこだが、そんなディープなクワガタマーケットには5大産地というものがある。その中でも久留米血統のオオクワガタというのは最も有名なブランドの一つとなっている。クワガタには産地により体の幅やあごの大きさ、あごの長さや形状に違いが出る。久留米産は体の全長が長いものが多く、あごは比較的スリムなものとなっている。クワガタの世界に足を踏み入れたものであれば、一度は必ず通る、と言われるほどにメジャーなブランドであり、虫界のGUCCI(グッチ)とでも言えばわかりやすいだろう。

©KYism

久留米血統は筑後川流域のことを指し、ミネラル分豊富な山、土と水に守られた森林があってこそだ。幼虫は朽ちた倒木に寄生したキノコの菌糸を好んで食べるのだが、これも自然が豊かでなければ条件がそろわない。まだまだ自然が豊富だとは言えるが、昨今筆者が把握している範囲でもかなり人の手が入ってしまい、今や久留米産ワイルドは、レア産地となっている。とは言え、筆者が驚いたのは、八女、久留米界隈では街灯の明かりに、なんとオオクワガタが飛んでくることがあるのだ!まさかとは思ったが、一度ならず2度3度と拾ってしまうと、今ではすっかり夏場の夜に街灯を徘徊する”夏の夜の不審者”と化している。

クワガタの価値には大きさや産地の外にも、符節の状態、羽のコンディション、目の色など様々な外観要因も加わる。しかし昨今は近親交配なども進んだことで、外観が不完全の個体もよく見かける。産地での乱獲が進み、個体数が激減したことで、ブリードが一般的にはなったが、そこにも他の犬や猫のブリード同様にブリーダーのモラルというものが求められている。ただ人間の環境破壊に対して、ブリードすることが種の存続にもなっているという皮肉もあるのだ。

だがどうあれ久留米血統はオオクワガタの一つの最上級ブランドであり、この地域名を全国区にしていることは間違いない。子供たちにとって夢のオオクワガタは、大人にとっても子供のころのままの夢とロマンを追い続けることができる、果てしないワンダーワールドなのだ。

H.Moulinette

創業51年のケーキ屋さん御座船本舗必勝堂が閉店!?今だからこそ必勝堂のたぬきケーキについて語ろうと思う

福岡県は久留米市十二軒屋の交差点にあるケーキ屋さん、必勝堂御座船本舗十二軒屋店。
このお店が今年の4月末日を持って閉店した。

私がこのお店に行ったのは昨年のこと。
十二軒屋という交差点のただ中にあるお店なので目につくことは多かった。
ただ駐車場が不便なのでなかなかお店の中に入ることはなかった。
それが、ある時、お店の外からそっと中を覗いた時にたぬきケーキがあるのを見つけた。

たぬきケーキ。

この存在を知らない人は多いだろう。
私も東京でこの存在を知った。

それは東京の文学フリマで「まつもとよしふみ氏」が発行しているzine「たぬきケーキめぐり」に出会ったときだ。
zineの作者まつもとよしふみ氏は「たぬきケーキのあるとこめぐり」というブログを連載している。
そこには全国のたぬきケーキの情報が載っている。
文学フリマで販売されていた「たぬきケーキめぐり」というzineは、いわばブログのペーパー版である。

©KYism

たぬきケーキは、たぬきを模したケーキのことで、多くはバタークリームとスポンジとチョコレートでできている。たぬきケーキの発祥は、詳しくわかっていないが、昭和30年代辺りに日本のどこかで生まれたらしい。高度経済成長期、たぬきケーキは町のケーキ屋さんからケーキ屋さんに広まり、愛らしい見た目のたぬきケーキは町のケーキ屋のアイドル的存在になった。
時代が平成に変わったあたりからたぬきケーキを取り巻く状況が変わった。町のケーキ屋さんの代わりにコンビニが台頭し、スイーツが多様化した。コンビニでは流行りのスイーツが気軽に手に入るようになり、町のケーキ屋さんの需要が減り、町のケーキ屋さんのショーケースから時代遅れのお菓子は追い出された。たぬきケーキはこうした時代の変化とともに全国から姿を消していった。
※たぬきケーキの説明はまつもとよしふみ氏のzine「たぬきケーキめぐり」を参考にしています。

とにかく私はこの「たぬきケーキめぐり」という書物にハマったのである。
なんせ文章からにじみ出るたぬきケーキに対する興奮、写真から伝わるたぬきケーキに対する愛が半端ない。

食べてみたい。

私はサラリーマン甘太郎のような気分でたぬきケーキを一口食べてみたいと思った。

©KYism

御座船本舗必勝堂に鎮座していたたぬきケーキは「たぬきちゃん」という名前で売られていた。
もはや鼻なのか口なのかわからない、たぬきちゃんの顔の白い部分。ドラえもんの顔の髭が生えている部分みたいだ。
同じく鼻なのか口なのか判別つかないくりんっ!と尖った突起物も愛らしい。
たぬきちゃんの耳を象っているチョコレートの部分。チョコレートの円柱は、もはや耳ではなく角だ。
この角のせいでたぬきちゃんは狸ではなく神聖な生き物のようにも見える。
おそらくたぬきちゃんを擬人化した際には「ひぐらしのなく頃に」の羽入ちゃんのようになるはずだ。
そして注目するべきはたぬきちゃんの目だ!
今日日黒いきれいな光沢のチョコレートはいくらでもあるはずなのに、おばけのホーリーの体色のような非光沢のチョコレート。
人の作りしものであることを証明するかのような焦点のあってない瞳。

素晴らしい。
可愛い。
この素晴らしいたぬきちゃんに祝福を!

感動するべきは、食べた時の食感だ。
舌の上に広がるしっとりしたケーキの食感。
口の中に広がり鼻道にまで立ち上るバターの香り。
そして、この地球上におそらく嫌いな人はあまりいないであろうチョコレートの甘み。

私が子どもの頃、近所にパン屋があった。
そこのパン屋ではトトロとかアンパンマンとかピカチュウとか人気のキャラを模した菓子パンが売っていたが、正直言ってあまり美味しくなかった。
食感はぱさぱさで、油はべちょべちょだった。
まだ今ほどパン屋ブームとかカフェブームがなかった頃の話だ。
キャラクターを模した食べ物といえば、そういうイメージしかなかったから、たぬきちゃんを食べた時の感動が人一倍大きかったのだ。

ところで、私がこのたぬきケーキいや、たぬきちゃんを買った時にお店の女将さんから「もうすぐお店を閉めるのよ」と聞いていた。
まあ、理由はよくある後継者がいないからだ。
こんなご時世にお菓子屋を継ぐのは大変なことだろう。
仕方がない。
創業51年の久留米の銘菓店は平成中に幕を閉じ、時代は令和に移り変わった。
時代と共にまた一つたぬきケーキが失われた。
これからたぬきケーキはどうなっていくのだろう。

参考サイト
たぬきケーキのあるとこめぐり / 全国たぬきケーキ生息マップ

 

K.Takeshita

城島酒蔵開き:呑兵衛たちのパラダイス日本酒の聖地で酒蔵開きを楽しむという粋

日本酒好きにとっては、「東の灘、西の城島」というほど久留米市城島地区に集結している酒蔵群は「聖地」なのだ。今年も2月中旬に蔵開きが行われ、飲みくらべや角打ちができる町民の森は”呑兵衛(のんべい) ”たちのパラダイスとなった。

©KYism

いったい城島地区にはどれほどの酒蔵が集まっているのだろう。今年の第25回城島酒蔵開きに参加した酒蔵は8社、杜の蔵、瑞穂錦、萬年亀、比翼鶴、花の露、筑紫の誉、池亀、旭菊、これら各蔵の自慢の酒が、12枚つづりで700円のチケットで飲めるのだ。このチケットには御猪口がついており、これをもって飲みくらべコーナーに向かう。まず普通酒はチケット1枚で一杯、吟醸酒はチケット2枚で一杯、そして大吟醸はチケット3枚で一杯となっている。ここで各蔵の酒を心ゆくまで飲みまくるのだが、それだけで 呑兵衛が満足するはずはない。そこには焼き鳥、たこ焼き、焼き牡蠣など様々な屋台が所狭しと並んでおり、酒を飲みながらそれらを頬張り、あちらこちらで地面に座り談笑している。昼間から老若男女問わず堂々と酒が飲めるのだ。

そして恒例なのが飲みすぎて酒に呑まれた人たちの千鳥足と、BGMのように時折流れる救急車のサイレンだ。飲みすぎは注意だが、それでもこの日ばかりは無礼講、誰もが笑顔で酒を呑み続けるのだ。カメラを向けると誰もが笑顔になり、撮ってくれ!と声をかけてくる陽気な酔っ払いたちがそこら中にあふれていた。

©KYism

甘い日本酒のにおいが漂う会場では、さすがに昼間から酒を公の場で飲むだけあって、夜の歓楽街のような怒号や罵声は聞こえない。代わりに誰もが笑顔で酒を楽しむ姿を見ているだけで、こちらまで楽しい気分になるのだ。酒蔵開き限定酒などもあり、それを目的で訪れる人も多い。公共交通機関に加え、シャトルバスなども運行されており、誰もがテーマパークにでも行った気分でまだ肌寒い冬の陽射しの下でのんびりと流れる時間を楽しむのだ。酒を飲めなくてもとりあえず楽しい雰囲気は開場全域で感じることができる。

それでも日本酒業界にとっては厳しい時代となっている。2017年には城島地区にあった有薫が167年の歴史に幕を閉じた。安い発泡酒やワインなどに押され、日本酒の消費量は右肩下がりだ。何とか打開すべく海外への輸出も進んでいる。事実海外輸出量は右肩上がりで、これからの時代は海外でいかに評価されるかにかかっている。海外、特に米国、香港、シンガポールなどででは「SAKE」として人気も高いのだが、日本国内で普通に目にする普通酒、本醸造酒、吟醸酒、大吟醸酒は海外では見かけることは少なく、純米酒が主流だ。

その理由の一つは酒税法にある。たとえばアメリカの場合、醸造アルコールを添加する普通酒、本醸造酒、吟醸酒、大吟醸酒は混合酒扱いとなり税金が7倍も高いのだ。それに対して純米酒、純米吟醸酒、純米大吟醸酒はビールなどと同じで、税率が低いのだ。その為実質的に純米酒でなければ出荷する意味がないのだ。また”ピュアライス”酒のほうが、ヘルシー志向の海外ではウケるという側面もある。

©KYism

九州は焼酎文化が強く、本州の人間にとってはあまり日本酒というイメージはなかった。しかし福岡と長崎に関しては間違いなく日本酒県であり、うまい酒がひしめき合っているのだ。そして城島地区は昔から九州の日本酒の中心であったのだ。そんな歴史と酒をとりあえず楽しめ!これが酒蔵開きを楽しみ尽くすための秘訣だ!まだ行ったことがない人は、是非とも来年こそは足を運んでほしい。

H.Moulinette

久留米探訪 其の壱:日本三大火祭り、正月の夜を炎で染める大善寺玉垂宮の鬼夜

日本には古来より多くの祭りがある。そしてその中でも奇祭と言われるのが火祭り,中でも1600年の歴史を持つ国の重要無形文化財、大善寺玉垂宮の鬼夜は、道祖神祭り(長野)、鞍馬の火祭(京都)、那智の火祭り(和歌山)と並び日本三大火祭りと呼ばれている。そう、本来は三大祭りだったのだが、その歴史と重要性、規模と独自性が甲乙つけがたいがために、今では四大火祭りとなっている。

©KYism

その歴史は古く、仁徳天皇五六年(368年)一月七日、藤大臣(玉垂命)が勅命により当地を荒し、人民を苦しめていた賊徒・肥前国水上の桜桃沈輪(ゆすらちんりん)を闇夜に松明を照らして探し出し、首を討ち取り焼却したのが始まりだと言われている。

鬼会と呼ばれる一連の行事は大晦日の夜に始まる。まずは神官が火打石で起こした御神火(鬼火)を護り天下泰平、五穀豊穣、家内安全、災難消除を祈願する。そしてその祭りのクライマックスが、一月七日の夜、闇に包まれた境内で灯された長さ13m、重さ1.2トンの巨大な松明6本を裸の若衆が引き境内を回る鬼夜だ。

一連の神事を行うと、大松明に火が灯され、境内を埋め尽くした観衆からは歓声が上がる。さらにはその大松明に若衆がよじ登り、大松明を縛っている縄を外していく。熱さに耐えながら縄を解くと、境内に集まった多くの観衆から再び歓声が上がる。

©KYism

6本の大松明は両側に陣取った「たいまわし」と呼ばれる裸の若衆が長い刈又(かりまた)と呼ばれる樫棒で支えながら、勇猛に神殿を時計回りで2度回るのだ。火の粉が舞い散り、「オイサッ ホイサッ」と言う掛け声とともに境内を移動するド迫力の大松明は一見の価値あり、その炎にあたると無病息災・家内安全・災難消除・開運招福と言われており、多くの人がその松明について歩くのだ。

一番松明だけは境内を一周した後に惣門をくぐり、社前の川に設けられた汐井場で 火が消され、それにより鬼は「シャグマ(赤熊)」らに護られ禊を済ませて神殿に帰っていくのだ。

新年早々真冬とは思えぬ熱気、松明の熱で汗だくになり、さらには燻製状態までに煙に燻されて祭りを満喫することができるチャンスなどそうあるものではない。これだけ歴史ある貴重な祭りだけに、わざわざ遠方から毎年訪れる人も多いのだ。まだこの祭りを体感したことがなければ、間違いなく損をしている。一見の価値あり、一度は必ず自身で体験すべきだろう。

そして体験と言えば、なんと隣町の筑後市には似たような祭り、熊野神社の鬼の修正会(県の重要無形文化財) が存在している。共通部分は多いのだがその由来は異なり、こちらは大善寺玉垂宮の鬼夜に比べると歴史は浅く、527年前の1492年に始まり、仏に罪を懺悔し無病息災や五穀豊穣を祈る祭りだ。巨大松明も長さは13mで同じながら少し軽量で、重さ500kgとなっている。また裸の若い衆が支えながら境内を3周するのも同じながら、松明を支えるの刈又(かりまた)の形状が少し違う上にしなるために松明を支えるのは容易ではない。また大善寺玉垂宮の鬼夜が賑わうのに対し、人手不足が顕著で昨今は市内外から公募しなければならない状況となっている。

見るだけでは満足しない人にはこちらがおすすめ、火の粉を被りながら祭り自体に参加してみるのがいいだろう。

H.Moulinette