廃線探訪:居残った看板が駅の証跡 -福岡県八女市上陽町の北川内駅-

みなさんは福岡県筑後地域にかつて矢部線と呼ばれる路線があったことをご存知だろうか。
矢部線は1945年に開通した日本国鉄線の地方路線の一つである。
終戦後日本で初めて開通した路線で、羽犬塚と黒木の間の19.7kmを繋いでいた。
本来は山奥の矢部村まで線路を伸ばす予定だったが、その夢叶わず第1次特定地方交通線に指定され1985年に全線廃止となった。

今回私が訪れたのは福岡県八女市上陽町にある北川内駅跡。
北川内駅は1945年12月26日矢部線開通とともに開業された。
1962年には業務委託駅化。
1971年2月20日には貨物及び荷物の取扱停止、無人駅化し、1985年矢部線廃止とともに廃駅となった。
廃駅時には1面1線の単式ホームで、駅舎はなく待合室があるだけだった。
駅が現役時には駅前広場に「大伴部博麻出身の地」と書かれた標柱が建てられていたようだ。

北川内駅があった場所は、現在八女市地域福祉センターが建っている。
駅の敷地内だったと思われる場所には福祉センター、駐在所、消防団の建物、保健センターが建っており 駅の跡など見つからない!!

歩道と車道の間の段差がそれっぽかったので「まさかこれは駅のホームの名残か!!??」と胸が熱くなったが、文献を調べたらそういうわけでもなさそうで、沸騰仕掛けの胸はすぐに雪で冷まされた。

福祉センター前を走っている道路がかつて矢部線が走っていた場所。
道路は緩やかなカーブを描きつつもまっすぐ走っている。

駅の痕跡は、実はしれっと残っている。
それがこちら。

「…(中略)…駅前駐車場を御利用下さい」と書かれている。
これは北川内駅があった頃の名残。

道路に引いてある斜線部分が看板に書かれている駐車禁止スペース。
あまりにも馴染みすぎてて見落とすこと間違いなしの鉄道史跡。

ちなみに駅前駐車場とは北川内駐在所の隣にある駐車場のこと。
今も地域を見学するためなら無料で駐車できる。

文献やウェブサイトで色々調べていると北川内駅が現役だった頃の駅名標のローマ字表記は「KITAKAWATHI」だったようだ。
「THI」では「ち」でなく「てぃ」である。
「ピザ」じゃなくて「ピッツァ」でしょみたいな感じだろうか。
この駅名標が残ってたらかなり面白かったのに非常に残念。

K.Takeshita

“廃線探訪:居残った看板が駅の証跡 -福岡県八女市上陽町の北川内駅-” への2件の返信

  1. 久留米の篠山城跡公園の一番奥に、
    「大伴部博麻」の大きな石碑が、
    筑後国初代長官である「道君首名(みちのきみのおびとな)」の石碑と並んで設置してあります。
    ともに600年代後期の人物ですが、
    城跡公園には石碑の由来はありませんでした。
    * 大伴部博麻:http://www1.bbiq.jp/hukobekki/hakama/hakama.html

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